上一宮大粟神社

要旨

上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町神領)は、阿波国の国魂神 大宜都比売命(おおげつひめ)を祀る阿波国一宮級の古社。『延喜式』神名帳「阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社(大社・月次新嘗)」の 論社の一つ であり(式内社データベースで確認、後述)、同じく論社とされる八倉比売神社(徳島市国府町西矢野)・一宮神社(徳島市一宮町)と式内社名を競合する。『三代実録』元慶7年(883)に神階が見える国史見在社でもある。本ノートは式内社としての位置づけ・論社関係・社伝(八神降臨・伊勢丹生来訪伝承)を、事実(延喜式・式内社データベース・地誌の記載)と阿波説的解釈(伝承の産業史的読み替え)を峻別して 整理する詳細論考のポータルである。神格・氏族・産業の深い論点は 上一宮大粟神社:阿波国魂・大宜都比売命の中心祭祀 と各専門ノートに委ねる。


基本情報

項目内容
社名上一宮大粟神社(かみいちのみや・おおあわじんじゃ)
別称大粟神社/大粟比売神社/大宜都比売神社/一宮明神/田口神/(江戸期『阿波志』)阿波女神・埴生女屋神・保食神
所在地徳島県名西郡神山町神領字西上角330
主祭神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)=大粟比売命
配祀天石門別八倉比賣神(社伝で同一神格圏とする)ほか
延喜式表記阿波国名方郡「天石門別八倉比売神社」(大・月次新嘗)の 論社の一(八倉比売神社・一宮神社と競合)
社格大(論社)/国史見在社(『三代実録』に神階が見える)
旧国・旧郡阿波国・名方郡
祭祀氏族粟国造(粟凡直氏)→ 大粟氏 → 粟飯原氏(→粟国造と大粟・粟飯原氏:国魂神を奉斎し続けた正統なる土着王権ほか)
位置付け阿波国の国魂神・大宜都比売命を祀る阿波国一宮級の古社

神格論・氏族系譜・産業史は専門ノートへ

大宜都比売命の神格論、粟国造〜粟飯原氏の系譜・祭祀継承史、産業(麻・穀・五穀)論は、本ポータルでは扱わず 上一宮大粟神社:阿波国魂・大宜都比売命の中心祭祀・大粟氏・粟飯原氏:祭祀一族の系譜と八倉比賣神社継承の闘い と各専門ノートに委ねる(下記「詳細論考ポータル」の動線を参照)。


📌 式内社としての位置づけ:天石門別八倉比売神社の論社(式内社データベース準拠)

論社関係(式内社データベースで確認)

出典は式内社データベース(shikinaisya.net の式内社一覧)。『延喜式』神名帳の 「阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社(大・月次新嘗・一宮)」 には、現在 3つの論社 が比定される(同データベース「比定社」欄)。本社はそのうちの一つである。

論社鎮座地同DB記載の祭神
(論)八倉比売神社徳島市国府町西矢野大日靈女命
(論)上一宮大粟神社(本社)名西郡神山町神領西上角330大宜都比売命
(論)一宮神社徳島市一宮町西丁大宜都比売命・天石門別八倉比売命

すなわち式内社名「天石門別八倉比売神社」を名乗る資格をめぐっては 本社を含む3社が競合 しており、本社単独が当該式内社であると確定しているわけではない。frontmatter の社格「大(論社)」はこの意味である。なお3論社のうち2社(上一宮大粟・一宮神社)が同データベース上 大宜都比売命 を祭神とし、八倉比売神社のみ大日靈女命(=天照大神に通じる神格)を挙げる点は、大宜都比売命と八倉比売神(大日靈女命)の 神格の重なり/別名関係 をめぐる論点(下記・社伝)に直結する。


🏛 上一宮大粟神社:詳細論考ポータル

以下の各論点は、独立した専門ノートとして詳細化されている。

概要と阿波説における重要性

名西郡神山町に鎮座する、阿波国の国魂神・**大宜都比売命(オオゲツヒメ)**を祀る総本宮。阿波説において、この神社は単なる地方の一宮ではなく、日本文明の農業と産…

🏛 大粟神社研究の各論

本社の祭祀・氏族・神話的論点(オオゲツヒメの系譜、黄金の狐と空海の予言、大粟氏・粟飯原氏の祭祀継承、天文配置)を整理し、個別の専門論考への動線を提供する研究ハブ。

🔗 リンク

本社の研究に関連する内部ノート(関連神・神社・氏族・理論ノート)と外部資料(ブログ・Web考察)を集約するリンク集。

関連ノート

阿波志(江戸期地誌)

江戸後期の地誌『阿波志』(藤原憲輯)における本社の記載:

一宮山上明神峯にあり、天正以後北麓に移す。「阿波女神」とも称し、祭神は大宜都比賣命。埴生女屋神・大粟姫命・保食神とも呼ぶ。天正以前は廟五間四架・前殿九間五架・楼門六間四架の大社構えで、源(小笠原)成助の世に管理された。三代実録元慶七年(883)十二月二十八日従五位下に叙される。神領村大粟山に「埴生女屋祠」として別途記載され、一名「田口神」、地名「大宜都比賣神」「上一宮」と称された。

→ 全文:阿波志 現代語訳(名東郡 8-3 一宮祠/名西郡 9-5 埴生女屋祠 の節)

📚 awa-otoko-blog 関連考察

  • awa_otoko_02_氏族_粟国造_大宜都比売#2016-03-12-大宜都比売命_八伴神の宮を探しだせ!! (出典) — 大宜都比売命が御馬に乗り引率した「八前の伴神」(大久保牛頭天王・大埜地腰ノ宮・上角都々姫・中津天王ノ宮・野間妙見・白桃妙見・谷天平・北名某社)の比定地特定調査。各宮の祭神は記紀対応の名に差替えられたが、男神/女神の痕跡から元の八伴神祭祀を復元する試み。
  • awa_otoko_02_氏族_粟国造_大宜都比売#2015-09-19-大宜都比売命の御馬石(神山町_神領) (出典) — 神山町神領 丹生にある「御馬石」(神代の昔、大宜都比売命が粟の国に来臨した時の神馬が石化したもの)の現地調査。阿波志・阿州奇事雑話・燈火録・上一宮大粟神社神官阿部氏舊記の引用。阿波開闢の原地を示す物的痕跡。
  • awa_otoko_02_氏族_粟国造_大宜都比売#2016-03-26-三日月・粟飯原家住宅に訪問 (出典) — 神山町栗生野(くりふの)の粟飯原家本家への訪問記。多久理彦神(大宜都比売命六代孫)の神陵「くりふの御墓」探索を兼ねた現地調査。本家は千葉上総介下総国千葉郡から観応2年(1351)に派遣された粟飯原石見守千葉常胤の系。
  • awa_otoko_02_氏族_粟国造_大宜都比売#2014-11-09-空海が関係する三つの寺(太龍寺、焼山寺、大滝寺) (出典) — 太龍寺(那賀郡)・焼山寺(名西郡左右村大粟山)・大滝寺(美馬郡)の三寺と空海の関係。太龍寺と大瀧寺の文字混同問題。焼山寺の阿波国魂母山(大粟山)における祭祀との接続。
  • awa_otoko_03_氏族_海人#2015-01-03-伊邪那岐命と伊邪那美命の真実(と一部妄想) (出典) — 阿波国の二大部族「海人族=伊邪那岐」と「山上農耕部族=高天原族=伊邪那美」の連合政権説。火之迦具土による伊邪那美死を「海人族の火攻めによる高天原打撃」と解釈、阿波美馬郡の伊射奈美神社(全国唯一)と阿波市加茂神社(意富加牟豆美神)の物的痕跡。

📚 参照資料(ブログ・Web自動)

  • 2014-09-18-大狐を祀る神社(上一宮大粟神社)
  • 2019-03-21-今、上一宮大粟神社社報が面白い!!!!
  • 2019-08-25-続・上一宮大粟神社社報!!少しずつ明かされる粟神の謎!?
  • 2012-05-28-上一宮大粟神社伝説
  • 2016-01-13-前置その3「上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿」

🌾 社伝と「伊勢丹生来訪」伝承の産業史的読み(仮説)

大宜都比売命=地主神 かつ 来訪神 という二重伝承

本社の社伝(『神領村誌』大正4年ほか)は、大宜都比売命を 神代からこの大粟山を治める五穀の地主神 とする一方で、「伊勢国丹生の郷より馬に乗って神山・丹生山の馬が原に降臨し、八神を率いて阿波国土を経営した」 という 来訪神 としても伝える。地主神でありながら外来神でもあるという一見矛盾した伝承は、近年の在野研究(「神はなぜ伊勢から来たのか」再考)で、次のような 産業史の記憶 として読み解かれている。

  • 丹生(水銀朱・鉱業)の重層:神山周辺には「埴生郷・丹生内・丹生山・仁生田神社・金泉」など丹(水銀朱)・鉱物を示す地名が集中し、近世には広石鉱山など大規模採掘が行われた。「伊勢丹生から馬で来た」伝承は、伊勢丹生の鉱業技術者集団の渡来記憶 を神話化したものとする読み。
  • 大宜都比売命 → 八倉比売神への神格拡張:「八神を率いて降臨」は探査・採掘・治水・星辰観測などを担う 複数の職能集団の統合 の記憶であり、五穀神の大宜都比売命が外来技術と多様な生業を束ねる過程で「八神を統率する者=八倉比売神」へと神格が拡張・融合した、とする(「祭神は大宜都比売命、別名を八倉比売」)。これは上記の式内社データベースで上一宮大粟・一宮神社が大宜都比売命を、八倉比売神社が大日靈女命を祀る論社競合の背景とも整合する。
  • 信仰の川下移動と権力:山(神山=上一宮)→阿野「二宮八幡」(1180創設)→一宮町「一宮神社」(1341、阿波守護・小笠原氏が創建)という信仰中心の移動を、神山の資源流出ルートを武士権力が段階的に掌握する地政学的プロセス と読む。

──ただし、この再考の論者自身が結びで 「大宜都比売命が実際に伊勢から来たと断定するものではない」 と明記しているとおり、これは伝承の 産業史的読み替え(仮説) であって、伊勢からの渡来や鉱業集団の移動を裏づける一次史料・物証が確認できるわけではない。八神の具体的8社比定・天文配置論・阿閇宮(山幸彦)との神議りなどの詳細と、坪内強セミナー等の学術的補強は 上一宮大粟神社:阿波国魂・大宜都比売命の中心祭祀 に委ねる。

留保(事実と仮説の峻別)

注意(中立的併記)

  • 論社であって確定式内社ではない:本社は『延喜式』名方郡「天石門別八倉比売神社」の 3論社の一つ(八倉比売神社・一宮神社と競合、式内社データベース準拠)。本社単独が当該式内社であると確定してはいない。
  • 大宜都比売命=八倉比売神(大日靈女命)の同一視は伝承・解釈:式内社データベース上も論社で祭神が分かれており(大宜都比売命/大日靈女命)、両神の同一・別名関係は社伝と阿波説的解釈に基づく。記紀が両者を同一神とするわけではない。
  • 「伊勢丹生来訪」「八神統合」「信仰の権力的移動」は産業史的仮説:いずれも社伝・地名・在野研究の読み替えであり、渡来・鉱業集団移動の一次史料・物証は確認できない。
  • 確実なのは:本社が大宜都比売命を祀る阿波国一宮級の古社であること、『三代実録』元慶7年(883)に神階が見える国史見在社であること、粟国造系の祭祀一族が長く奉斎してきたこと(祭祀権は中世以降に田口氏・小笠原系一宮氏・安倍氏らの間で複数回交代)。
  • 神階・祭祀沿革の年表は典拠の性格が異なる:『続日本紀』(延暦2年・粟凡直豊穂)と『三代実録』(元慶7年)は正史・国史で相対的に堅いが、千波足尼の粟国造任命・神護景雲元年の改姓・元暦2年の正一位「正一宮大明神」・暦応4年の祭官職奪取は 『粟飯原家略傳』(明治10年・粟凡直粲胤が記した当家の家伝) に基づく当家側の伝承であり、同列の確度ではない(→1_始祖伝承と粟国造の任命:大宜都比売命の阿波渡来)。
  • 本ノートの evidence_type は “primary_source_based”、confidence は 4(式内社・国史見在社としての事実部分)。ただし産業史的読み替え部分は仮説(confidence 2相当)として[!note]隔離した。

📜 神階・社格・祭祀沿革(史料層を区別した集約)

本社は『三代実録』に神名が見える 国史見在社(広義) である(延喜式神名帳と六国史の双方に名が見える神社)=阿波国一之宮。以下は本社の神階・社名・祭祀継承を年代順に集約したもの。典拠の性格(国史/地誌/家伝)で確度が分かれるため、出典を明記して区別する(詳細は各リンク先・末尾「留保」を参照)。

年代事項典拠(性格)
応神朝(軽嶋豊明宮朝)神裔 千波足尼 を粟国造に定む(『先代旧事本紀』国造本紀「高皇産霊尊九世孫 千波足尼」と一致)『粟飯原家略傳』=家伝/国造本紀=古代史書
神護景雲元年(767)本姓を 粟凡直 とする『粟飯原家略傳』=家伝
延暦2年(783)「正六位上 粟凡直豊穂」を阿波国造に任ず『続日本紀』=正史
元慶7年(883)12月28日神階を授く(『阿波志』は本社に比定。ただし神名「埴生女屋神」は勝浦郡 建嶋女祖命神社も主張し比定・階位は不確定)『三代実録』=国史(神階)/『阿波志』=地誌(本社への比定)
元暦2年(1185)3月3日神階「正一位」を極め「正一宮大明神」と称す『粟飯原家略傳』=家伝
暦応4年(1341)小笠原(一宮)長宗が粟国造家の祭官職を奪取(『略傳』の「悲劇的記述」)『粟飯原家略傳』=家伝
明治3年(1870)一時「埴生女屋神社」に改名(883年神階の神名を採用)地誌・改正願稿
明治28年(1895)氏子請願により現社名「上一宮大粟神社」に確定改正願稿関連

→ 国造任命・改姓・系譜の詳細:1_始祖伝承と粟国造の任命:大宜都比売命の阿波渡来/祭祀権奪取と社名改正論争:大粟氏・粟飯原氏:祭祀一族の系譜と八倉比賣神社継承の闘い・埴生女屋神:阿波の土の女神と式内社二社の比定論争