萩原墳墓群(はぎわらふんぼぐん)

📌 概要

  • 所在地: 徳島県鳴門市大麻町萩原
  • 年代: 弥生時代終末期(2世紀末〜3世紀前半)
  • 種別: 積石塚(墳丘墓)

🔍 学術的意義・阿波説における重要性

萩原墳墓群は、前方後円墳のルーツとも言われる特殊な構造を持つ積石塚であり、阿波から畿内への文化の波及(東遷)を裏付ける重要な遺跡である。

阿波説における証拠としての価値:

  1. 出現期古墳への影響(纒向遺跡との関係) 萩原墳墓群の2号墓・1号墓は、平面形が「前方後円形」に似た突出部を持つ。これらの構造や、そこから出土する画文帯神獣鏡などは、後の大和(奈良県)纒向遺跡の発生期古墳群(ホケノ山古墳など)に強い影響を与えたとされる。
  2. 氏族の移動(東遷)の物証 積石塚という特異な埋葬形態は、吉野川流域に特徴的なものであり、これが時代を下って大和や東日本へ伝播していく過程は、阿波の有力氏族(阿波忌部など)が東へ移動していったとする「東遷の法則」を考古学的に裏付けるものである。

⛏️ 主な出土品・遺構

  • 積石塚の構造: 石を積み上げて墳丘を築く特異な形態。突出部(前方部)と円形部(後円部)の萌芽が見られる。
  • 画文帯神獣鏡: 権力の象徴とされる銅鏡が出土。
  • 埋葬施設: 発掘者・菅原康夫の原報告(1983)は「竪穴式石室」と呼ぶが、墓壙を持たず方形区画列石が壁状の囲郭を成す特殊な構造で、後の研究では「積石木槨」「石囲木槨」と呼び替えられている(箱式石棺ではない)。呼称は変わったが、構造の記載事実そのものは一貫している。

呼称の変遷に関する注記

本遺構は資料により「竪穴式石室」(1983年原報告・奈文研DB)、「積石木槨」「石囲木槨」(菅原2010以降、森下2023)と表記が分かれる。同一の記載事実が再解釈された結果であり、どちらかが誤りというわけではない。「箱式石棺」という呼称は一次資料に見られない。

🔗 関連リンク・一次資料