田口大明神

要旨

「田口大明神(たぐちだいみょうじん)」は、阿波説ブログ awa-otoko が論じる大宜都比売命の旧社号(神号)のひとつであり、独立した式外社というより、現在の上一宮大粟神社(大粟山)にかつて用いられた呼称として扱われている。本ノートはブログアーカイブ記事に依拠した阿波説解釈であり、史実として確定したものではない。


1. 命題の構造

観点通説阿波説
社号の由来大粟山の祠は「埴生女屋神社」等の社号変遷で扱われ、「田口大明神」は特に注目されない田口大明神は大宜都比売命の複数ある神号(大阿波女神・八倉比賣命等)の一つであり、田口氏(祭官家)の祭祀に由来する社号
田口氏の性格阿波民部太夫・田口成良(粟田成良)は源平期の武将として認識される田口氏=武内宿禰の系譜に連なる「宮主・国造家」であり、南北朝期まで大粟山庄で大宜都比売命を祭祀した武家祭官家(粟飯原家と源流を同じくする)とされる
比定社の確定性特に問題視されない天石門別八倉比賣神社の比定論争のなかで、杉尾明神・一宮大明神・田口大明神(現・上一宮大粟神社)の三社比定が併存し確定していない

2. 基本情報

項目内容
社名田口大明神(たぐちだいみょうじん)
所在地名西郡神山町神領(大粟山)※比定社・上一宮大粟神社の所在地
創建不詳
主祭神大宜都比売命
配祀不詳
社格不詳(式外社。独立社というより社号・神号としての性格が強い)
位置付け阿波説ブログ awa-otoko が論じる、大宜都比売命の旧神号のひとつ。現・上一宮大粟神社の旧称とされる

3. 祭神と社伝

ブログが引用する縁起では、御馬に乗り八前の伴神を率いて阿波(粟)国に移り、大麻比古・天日鷲命とともに粟を蒔いた神勲により「大阿波女神」「八倉比賣命」「田口大明神」と申し、また大宜都比売命と尊称した、とされる。すなわち**「田口大明神」は大宜都比売命の複数ある神号のひとつ**という位置づけである(出典:awa-otoko「有持氏ガ移遷シタ皇子権現トハ大宜都比売命ノ裔神ノコト也。」2016-09-23)。


4. 歴史

比定社・所在地(阿波説)

  • awa-otoko は 田口大明神=現 上一宮大粟神社(大粟山/名西郡神山町神領)と比定する。
  • 「天石門別八倉比賣神社」の比定をめぐる論考のなかで、比定社は 杉尾明神(現・天石門別八倉比賣神社)/一宮大明神(現・一宮神社)/田口大明神(現・上一宮大粟神社) の三社が挙げられたままになっている、と整理されている(出典:「吉田喜七郎の杉尾非八倉比賣神社弁!!ここに。」2016-10-09)。
  • 別記事では、上一宮大粟神社が明治期に「埴生女屋神社」へ社号改正させられた際、「田口大明神の名称の後は明確な呼び名が無かった」と述べ、田口大明神を同社の旧称として位置づけている(同記事)。なお『阿波志』は大粟山の「埴生女屋祠」を 一名「田口神」 と記しており、「田口(神/大明神)」と「埴生女屋(神/祠)」は同じ大粟山の祠をめぐる別称関係にある。883年神階の埴生女屋神をめぐる比定論争は 埴生女屋神:阿波の土の女神と式内社二社の比定論争 を参照。

比定の留保

この「田口大明神=上一宮大粟神社」はあくまで awa-otoko の阿波説的読みである。同じブログ内に 「上一宮小笠原大明神」は田口大明神とは別であろう(小笠原家が入って成立した社号)という記述(「一宮家のルーツ‼︎ 大通寺良蔵院とは⁈」2016-11-22)もあり、出典内部でも呼称・系統の整理は一貫していない。社号の比定は確定事項として扱えない。


6. 阿波説における意義

6-1. 田口氏との関連

ブログは「田口大明神」の社号を、田口氏(祭官家)が大宜都比売命を祭祀していた経緯と結び付けて論じる。

  • 田口氏=武内宿禰の系譜とされ、阿波民部太夫=田口成良(またの名を粟田成良、重能・成能)に連なる。田口一族は「宮主・国造家」と称し、南北朝時代初期まで大粟山庄で大宜都比売命を祭祀した武家祭官家であり、粟飯原家と源流を同じくするとされる(出典:2016-09-23、2017-04-11「神が去った阿波を統治した氏族」)。
  • 「大粟山 上一宮大明神は田口大明神として一時的に祭祀されていた時期もある」「神山神領 長満寺付近は田口成良の居城でもあった」とされる(2017-04-11)。
  • 阿波四家大身(大西・有持・海部・一宮)の整理のなかで、有持氏は田口氏(櫻間氏)の末裔であり、田口大明神として大宜都比売命を祭祀していた経緯があると述べられる(出典:「白は城!阿波四家大身 大西氏とは!?」2016-08-20)。
  • 関連して、有持氏が大粟山庄の「皇子権現」を鴨島町上浦へ移遷した(現・有持神社か)とされ、皇子権現を大宜都比売命の裔神とみる議論もある(2016-09-23)。ただしこれは田口大明神そのものの比定ではなく、田口氏・有持氏の系譜的背景として扱われる。

6-2. 総括

awa-otoko は本件を「忘れられた田口大明神」として、大宜都比売命の旧神号・上一宮大粟神社の旧社号が、源平・南北朝の騒乱や分祀・社号改正のなかで失われ、本来の名が忘却された事例と位置づけている。武内宿禰系譜=田口氏と、粟国造粟凡直・千波足尼との繋がりの解明が今後の課題として挙げられている(2017-04-11)。


7. 関連神社・関連氏族


9. 参照ブログ・Web資料

  • 資料/01_ブログアーカイブ/awa-otoko-blog/2014-12-09-忘れられた田口大明神 (ブログ記事)

関連する言及(ブログ・note記事)

  • 阿波考古学と邪馬台国
  • 2017-04-11-神が去った阿波を統治した氏族 (出典)
  • 2016-11-22-一宮家のルーツ‼︎_大通寺良蔵院とは⁈ (出典)
  • 2016-10-09-吉田喜七郎の杉尾非八倉比賣神社弁!!ここに。 (出典)
  • 2016-09-23-有持氏ガ移遷シタ皇子権現トハ大宜都比売命ノ裔神ノコト也。 (出典)
  • 2016-08-20-白は城!阿波四家大身_大西氏とは!? (出典)
  • 2016-03-12-大宜都比売命_八伴神の宮を探しだせ!! (出典)
  • 2014-12-09-忘れられた田口大明神

12. 留保(中立的併記)

注意

  • 本ノートの記述はすべて阿波説ブログ(awa-otoko)の記事に依拠する二次的解釈であり、evidence_type: blog_hypothesis とした。
  • 「忘れられた田口大明神」と題する単独記事は、Vault内アーカイブには取り込まれていない(全文検索で見出し・該当記事を確認できず、本文は関連記事群の言及から構築した)。
  • 「田口大明神=大宜都比売命の神号」「比定社=上一宮大粟神社」は、いずれも阿波説における比定であり、史料的・学術的に確定したものではない。出典内部でも社号の整理は一貫していない(§4の比定の留保を参照)。
  • frontmatter の epoch: 古墳時代 は既存値を保持したが、記事の論点は神代~南北朝にまたがる(要確認)。
  • 本ノートの evidence_type は “blog_hypothesis”、confidence は 2。