埴生女屋神:阿波の土の女神と式内社二社の比定論争

要旨

埴生女屋神(はにふめおや/はにふのめおやのかみ) は、『日本三代実録』元慶7年(883)12月28日条 に「阿波國従五位下 埴生女屋神」として神階奉授の記録のみを残す 阿波国の土(埴)の女神。重要なのは、これが 「神」であって「神社(社名)」ではない こと。「埴生女屋神社」という社名は延喜式神名帳にも六国史にも存在せず、明治3年(1870)に阿波国名方郡入田の上一宮大明神が一時「埴生女屋神社」と改名した 後、明治28年(1895)に氏子請願で 上一宮大粟神社 へ確定した経緯による近代の呼称。

この埴生女屋神を「自社の神」と主張するのが、阿波国の二式内社——上一宮大粟神社(名方郡、祭神 大宜都比売命) と 建嶋女祖命神社(勝浦郡、祭神 埴安姫命)。本ノートはこの 埴生女屋神という神格と二社の比定論争 を主題とする。


1. 命題の構造

通説/誤解実態(一次史料に即して)
「埴生女屋神社」は阿波の式内社である誤り。延喜式神名帳・六国史に「埴生女屋神社」の社名は無い。式内社ではない
埴生女屋神は特定の一社の祭神**三代実録に神階を受けた「神」**であり、後世 複数の式内社が比定を主張 する
上一宮大粟神社は古来「埴生女屋神社」と呼ばれた「埴生女屋」は 大粟山の祠の別称(埴生女屋祠=一名 田口神) として地誌に現れるが、社名系譜の正統ではない(大粟氏も改名に反駁)

2. 唯一の公的記録:三代実録の神階奉授

項目内容
典拠『日本三代実録』巻四十四 元慶7年(883)12月28日庚申条
原文「阿波國 從五位下 埴生女屋神・八桙神 並 從五位上」
昇叙従五位下 → 従五位上(神階を一階昇進させる奉授)
性格神(神格)への神階奉授 であり、社名・鎮座地は記されない

三代実録 元慶7年(883)12月28日庚申条(原文)

紀伊國從四位下勳八等丹生比売神・伊太祁曾神並叙從四位上。阿波國正五位上天日鷲神從四位下。加賀國從五位下菅生神正五位下。參河國從五位下石鞍神、阿波國從五位下埴生女屋神・八桙神並從五位上。河内正六位上栗栖神・堺神…並從五位下。 (Vault内一次史料:『日本三代実録』 line 4277)

→ これにより埴生女屋神は 国史見在社(広義)に相当する神格 だが、延喜式神名帳に「埴生女屋神社」が無いため、どの式内社がこの神を祀るか が後世の論点となった。

この一次史料から確定する3点:

  1. 神階は「従五位下 → 従五位上」への昇叙。『阿波志』が記す「従五位下」は 昇叙前の位、建嶋女祖命神社由緒が記す「従五位上を授ける」は 昇叙後の位 であり、両者は矛盾せず昇叙の前後を指す(従来の「表記揺れ」留保は解消)。
  2. 同条で阿波の天日鷲神(阿波忌部祖神)が正五位上→従四位下に昇叙されており、883年は阿波の在地神が一斉に神階を進められた年。埴生女屋神もその一環。
  3. 埴生女屋神は 阿波國 八桙神(八桙神社、那賀郡・大国主=長国造系)と同じ「並」の一括奉授に列している。ただし同じ「並」には參河國 石鞍神も含まれるため、これは 同一バッチでの並記であって祭祀系統の証明ではない。とはいえ、阿波で隣接して列せられた八桙神(長国造圏)との並記は、埴生女屋神を 長国造圏の神(=勝浦郡・建嶋女祖命神社) とみる説を 緩やかに支持する状況証拠 ではある。

「神」と「神社」の区別

goutara(ぐーたら気延日記)が強調する核心:883年の記録は 「埴生女屋神」=神 に対するもので、「埴生女屋神社」という社(やしろ)は存在しなかった可能性 すらある。明治の改名はこの神名を社名に転用したもの。


3. 「埴生女屋神社」という社名の正体(明治の改名)

年出来事
~江戸期名方郡入田の社は「一宮明神」→「田ノ口大明神」→「大粟上一宮大明神」→「上一宮大明神」と変遷。この系譜に「埴生女屋神」は現れない
明治3(1870)年上一宮大明神を「埴生女屋神社」に改名
—大粟一族が「上一宮大明神→埴生女屋神社への改名は誤り」とする 反駁文 を提出
明治28(1895)年氏子請願により 「上一宮大粟神社」に確定

→ 改名の動機として、入田が 和名抄の「埴土(はに)郷」 にあたり、埴生女屋神の出自地としてふさわしく見えたこと(goutara)が挙げられる。だが社名の系譜的連続性は乏しく、「埴生女屋神社」は式内社の正式名ではない。


4. 比定を主張する二式内社

883年の「埴生女屋神」を自社の神とする式内社が二つある。祭神も郡も異なるため、論争として併記する。

4-1. 上一宮大粟神社(名方郡)

  • 祭神:大宜都比売命(阿波国魂・粟国造の祖神)
  • 根拠:江戸後期地誌『阿波志』に、本社を 「阿波女神」とも称し、祭神は大宜都比売命。埴生女屋神・大粟姫命・保食神とも呼ぶ」 と記載。さらに神領村大粟山に 「埴生女屋祠」 として別途記載され、一名「田口神」、地名「大宜都比賣神」「上一宮」とも称された。→ この「田口神/田口大明神」の社号と田口氏祭官家については 田口大明神 を参照。
  • 神階:『阿波志』は 三代実録 元慶7年(883)従五位下 に叙されたと記す。

→ 詳細:上一宮大粟神社、上一宮大粟神社:阿波国魂・大宜都比売命の中心祭祀

4-2. 建嶋女祖命神社(勝浦郡)

  • 祭神:埴安姫命(土の女神/『古事記』でイザナミから生まれた埴の神)。下照姫説も併存。
  • 根拠:社伝由緒に 「883年従五位上の埴生女屋神」「建島埴生女屋神」 とあり、本社を埴生女屋神の鎮座地とする。「建島女祖命下照姫」「埴安比売命(飛び地開拓の神)」など多くの異伝を伝える。
  • 延喜式表記:阿波国 勝浦郡 建嶋女祖命神社(小)。
  • 傍証:天平13年(741)、近江の 波爾布神社(滋賀県高島市新旭町饗庭、式内社)が 建嶋女祖命神社より波爾山比賣命(=埴生女屋神/埴安神)を勧請 し、水神・土神二神を揃えたと伝える。→ goutaraは「741年に建嶋女祖命神社から埴生女屋神を勧請している以上、当時の埴生女屋神所在は建嶋女祖命神社」と推定。

→ 詳細:建嶋女祖命神社

4-3. 論点整理

観点上一宮大粟神社建嶋女祖命神社
郡名方郡勝浦郡(延喜式表記。現・小松島市中田町)
延喜式社名天石門別八倉比売神社(論社)建嶋女祖命神社
主祭神大宜都比売命埴安姫命(下照姫説も)
埴生女屋神との結節大粟山「埴生女屋祠」(一名 田口神)/阿波志の別称社伝「建島埴生女屋神」/近江への勧請元
氏族圏粟国造長国造(粟・長境界)

郡比定の注意

延喜式表記は 勝浦郡 建嶋女祖命神社(小)。現社地(小松島市中田町)は 勝浦郡と那賀郡の郡境 にあり、二次資料には「那賀郡」と記すものもあるが、goutara も「那賀郡」表記を明確に「勝浦郡」と訂正している(本ノートは勝浦郡を採る)。


5. 神名の解釈:埴(はに)の女神

構成要素解釈
埴生(はにふ)埴(はに)=粘土・赤土。「埴生」は粘土を産する土地。和名抄「埴土郷」とも通じる
女屋(めおや)「女祖(めおや)」=祖母神/女性の祖神。建嶋女祖命の「女祖」と同義とみる
総合土(埴)の女祖神 = 土壌・農耕・出産を司る阿波の女神

→ 「埴」を介して 埴安姫命(土の女神)と直結し、「女祖(めおや)」を介して 建嶋女祖命 と直結する。一方『阿波志』は 大宜都比売命(穀物・食物の女神)の別称ともする。いずれも阿波の生育・土壌の女神 という同質の神格圏にある。


6. 阿波説における意義

6-1. 阿波の女神祭祀ネットワークの結節点

埴生女屋神は、阿波の土・穀・生育を司る女神群——大宜都比売命(粟・食物)/埴安姫命(土)/賀志波比売/八倉比売——を横断する 神格の結び目。粟国造(名方郡)と長国造(勝浦郡)の双方が比定を主張することは、この女神が 両国造圏を統合する阿波在地の根源的女神 であったことを示唆する。

6-2. 近江への東伝:波爾布神社

天平13年(741)の 建嶋女祖命神社 → 波爾布神社(近江) への波爾山比賣命勧請は、阿波の土の女神が 畿内周縁へ伝播 した物的傍証。これは 建嶋女祖命神社 の「建部大社(近江一宮)への東伝」論と並ぶ、阿波→近江の祭祀東伝 の一例。詳細:波爾布神社。

→ 関連:建嶋女祖命神社

6-3. 社名改正願にみる近世の神格再編

明治期の「上一宮大明神→埴生女屋神社→上一宮大粟神社」という改名・反駁・確定の過程は、883年の古い神名(埴生女屋神)を式内社比定の根拠として動員しようとした近世神道行政の試み と、それに抵抗する 大粟氏(粟国造後裔)の社名正統意識 の衝突を示す。神格と社名の乖離が、近代の式内社認定実務でどう処理されたかの好個の事例。

→ 関連:上一宮大粟神社 古傳書及御神号改正願稿


7. 関連神格・関連神社

神格

  • 埴安姫命 — 土の女神、建嶋女祖命神社祭神
  • 大宜都比売命 — 阿波国魂、上一宮大粟神社祭神、阿波志は埴生女屋神の別称とする
  • 建嶋女祖命(下照姫説あり) — 建嶋女祖命神社主祭神
  • 賀志波比売 — 同系統の阿波女神

神社

氏族

  • 粟国造 — 上一宮大粟神社を奉斎、大宜都比売命の祭祀氏族
  • 長国造 — 建嶋女祖命神社圏、粟・長境界の祖母神祭祀

8. 関連ノート(Vault内)

参照Web資料(原典クリップ)

  • ぐーたら気延日記「大宜都比売命と埴生女屋神と丹生都比売大神」(上) — 埴生女屋神=神/神社の区別、二社比定論争、波爾布神社勧請の原典

9. 留保(中立的併記)

注意

  • 「埴生女屋神社」は式内社ではない。延喜式神名帳・六国史に当該社名は無く、明治3年の改名(明治28年に上一宮大粟神社へ確定)に由来する近代呼称。本ノートは「神格+比定論争」を主題とし、社としての実在は前提しない。
  • 公的記録は 三代実録 元慶7年(883)の神階奉授一点のみ。鎮座地・社名は記されないため、二社の比定はいずれも 後世の社伝・地誌による主張。
  • 神階は確定(昇叙):Vault内一次史料 『日本三代実録』(line 4277)の原文「阿波國從五位下埴生女屋神・八桙神並從五位上」により、従五位下→従五位上の昇叙 と確定。『阿波志』の「従五位下」=昇叙前、建嶋由緒の「従五位上」=昇叙後で、従来の「表記揺れ」は解消した(§2参照)。
  • 祭神比定の対立:埴安姫命(建嶋女祖命神社)と大宜都比売命(上一宮大粟神社)は別神格であり、本ノートは両説を併記する。「埴生女屋神=大宜都比売命の別称」とする『阿波志』の記述は地誌の一解釈。
  • 建嶋女祖命神社の郡:延喜式表記は勝浦郡。現社地(小松島市中田町)が勝浦・那賀の郡境にあるため二次資料に「那賀郡」表記も見られるが、本ノート・当該社ノートとも勝浦郡に統一する。
  • 下照姫説・埴安姫説の併存:建嶋女祖命神社の由緒自体が「建島女祖命下照姫」「埴安比売命」「沖津比女命」「伊邪那美命」など多数の異伝を伝え、祭神は確定していない。
  • 波爾布神社の勧請年(天平13年〈741〉)・勧請元は二次資料(由緒書)による。
  • 丹生都比売大神との関係は、原典 goutara の(上)編が「下編に続く」と予告した(下)編の主題だが、この(下)編は公開されていないと見られる(2026-06時点で調査:goutara 当該記事〈2016-01-31〉は「諸般の事情でペンディング」と明記し、次の投稿は無関係の賀茂神社記事、web検索でも(下)編は出現せず)。したがって 本ノートでは丹生都比売との関係を扱わない。
  • なお別系統のブログ marine816(ameblo)は、goutara が中断した「埴生女屋神↔丹生都比売」の論点を独自に展開し、「埴(はに)=赤土=丹生(にふ)」「名方郡『埴土郷』=後の『入田(にうた)』=丹生の生成地」「波爾山比賣命=山の赤土=丹生の女神」とする丹生(朱・水銀)の女神説を立てる。これは興味深いが 一個人の推論(blog_hypothesis)であり、本ノートの神格・比定論争のスパインには織り込まない。大宜都比売命=丹生(朱)系の論点は別系統の資料(阿波の水銀朱(辰砂):若杉山遺跡と権力の象徴 等)で別途検討する。同ブログはさらに崇神紀の武埴安彦命・吾田媛説話との接続も論じるが、これは埴生女屋神の新情報ではなく別個の神話論のため本ノートでは扱わない。
  • evidence_type は “primary_source_based”、confidence は 3(中位)——三代実録の神階記録は確実だが、社・祭神の比定は社伝依存で諸説並立のため。

※本稿は三代実録の「埴生女屋神」という神格と、それをめぐる阿波二式内社(上一宮大粟神社・建嶋女祖命神社)の比定論争を主題とする神格ノート。各社の論考は当該ノートを参照。