明治期の社名改正運動と『改正願稿』の抵抗

概要

明治期、政府教部省は阿波の式内社の社名統一・比定を進めた。大宜都比売命の真名「大粟姫(オオアワヒメ)」を「大日孁神(オオヒルメ)」に置き換える 改名運動に対して、阿波の識者たちは 『上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿』 を編纂し、文書による抵抗を行った。粟飯原家10代当主 粟凡直粲胤(あわのおおきみさんいん/粟飯原与一) は明治10年(1877)に 『粟飯原家略傳』 を記し、古代姓「粟凡直」を再表明することで祭祀正統性を後世に宣言した。


1. 明治政府の改名方針

明治政府教部省(後の内務省)は廃藩置県・神仏分離後、全国の式内社の比定統一を進めた。阿波では:

旧称改名案政治的意図
大粟大明神(上一宮大粟神社)→ 埴生屋神社大宜都比売命=大粟姫の名を消去
杉尾大明神(天石門別八倉比賣神社)→ 天石門別八倉比賣神社祭神を 大日孁命=天照大神 に置換

→ 意図:

  1. 大宜都比売命=大粟姫の名を消去
  2. 大日孁命=天照大神に祭神を置換
  3. 阿波の独自祭祀を 中央祭祀(伊勢系) に統合

2. 『上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿』

阿波の識者たちは抗議文書を作成。awa-otoko 氏が読み解いた核心:

杉尾明神八倉比賣神社ニ非ルチ知ルヘシト思フニ 杉尾ハ極メテ天石門別豊玉比賣神社ナルヲ 豊玉比賣神社ハ八倉比賣神社ト 同神ヲ祭リシ故㕝ヲ混シテ傳へ 終ニ本ツ御名ヲ送失シテ古ク八倉比賣神社ト誤リ傳エシモノ也

改正願稿の主張

  1. 杉尾=天石門別豊玉比賣神社 が正しい(八倉比賣神社ではない)
  2. 豊玉比賣神社と八倉比賣神社は同神(大宜都比売命の異名)であるため混同された
  3. 改名により本来の御名「大粟姫」が失われた

「大粟姫 → 大日孁」音韻置換の告発

もともとの祭神 大粟姫(おおあわひめ) に聞こえがちかい 大日孁神(おおひるめ) に置き換え、冠に天石門別を付けた、天石門別八倉比賣神社として、天石門別豊玉比賣神社の存在を消してしまった。

それは考え合わした「嘘」で固められた古からの計画であった…

「㕝(こと)」字の暗号性

awa-otoko 説:

  • 文書中の「㕝(こと)」字には 「嘘」の意 が含まれる
  • 「事を歪めて伝えた」「公文書として虚偽である」という暗号的告発

→ 『改正願稿』は、明治期の阿波の識者たちが 「大宜都比売命の真名を守るための祭祀防衛戦」 を文書として残した、阿波説における最重要の 戦闘文書 である。

→ 出典:

  • 2016-01-11-八倉比賣神社は天石門別豊玉比賣神社だった
  • 2016-01-14-大宜都比売命の父は天手力男命

3. 粟凡直粲胤(粟飯原与一)の人物像

略歴

項目内容
生没年嘉永3年(1850)〜大正4年(1915)
家系粟飯原家10代目庄太夫の長男
幼名荒太郎
師事新蔵院宥照、新居水竹
明治元年(1868)庄屋取締役に就任
明治壬申戸籍(1872)名西郡第五小区上山村上分・下分・左右内3カ村の取調役
明治7年(1874)上分上山村村長
明治10年(1877)『粟飯原家略傳』を記す
大正2年(1913)『上分上山村小風土記』編纂

研究活動

  • 黒松八幡神社 の研究
  • 粟飯原家の歴史・家系図 の作成
  • 庄太夫「日暦」 4冊の筆写(天保13年正月〜弘化4年9月)
  • 自家文書の整理・本文裏面への作成年代/表題/内容書込み

→ 「現在に至るまで粟飯原家文書が大きな散逸を免れたのは、彼の尽力のたまもの」(県立文書館・日野善雄論文評)


4. 『粟飯原家略傳』(明治10年=1877年)の意義

awa-otoko の核心読解:

個人的には粟飯原与一氏が 粟凡直の姓 で記録しているのは、自信と誇りをもって真実の表明を後世に伝えるため は勿論のこと、「粟凡直」というワードを アイキャッチ として使用したかったのではないか。

粟凡直を調べれば大宜都比売命・千波足尼の繋がりが見出せる。また神山 神領地区の歴史も出てくる。

意図がなければ明治時代に古代の姓「粟凡直」は名乗れない。

古代姓「粟凡直」再表明の意義

明治政府の社名改正運動・近代化政策の中で、粟凡直粲胤が古代の本姓「粟凡直」を再び名乗ったことは:

  1. 粟国造家の正統性主張
  2. 大宜都比売命=粟国魂神の祭祀権の継承宣言
  3. 後世の研究者への暗号メッセージ

として機能する、精神的な抵抗行動 であった。

→ 出典:2016-05-22-粟凡直粲胤_粟飯原家略傳


5. 「阿波女社宮主祖系」と粟国造粟飯原家系図

一宮神社所蔵の「阿波女社(あわめのやしろ)宮主祖系」を取り入れた 『粟国造粟飯原家系図』 は、大宜都比売命の異名群を明示する:

異名意味・典拠
大宜都比売命阿波の国魂神(古事記)
大粟姫(おおあわひめ)粟を蒔いた女神
大阿波女神(おおあわめ)阿波の大女神
阿波女神(あわめ)同上の短縮形
阿波咩命伊豆神津島・阿波命神社の祭神
阿波波神阿波の波(海神性)
天津羽羽神(あまつはは)事代主の妻(『斎部宿祢本系帳』)
天石門別八倉比賣神父神冠詞+娘
天石門別豊玉比賣神母を継ぐ娘神

→ 系図は 「これらすべてが同一神=大宜都比売命の異名である」 ことを明示し、粟飯原氏が これらの異名すべての祭祀系譜を正統に継承する家系 であることを宣言している。

詳細:大宜都比売命の父神論:天手力男・天背男・八倉比賣との交差


6. fusa(房総側)からの補強:明治祭祀権回復運動

「未知の駅 總フサ」ブログによる 千葉側からの粟飯原氏研究:

「平民苗字許可令」以降、粟飯原氏が「千葉一族」の仮装を捨て 本来の粟国造の系譜を再表明 した動機は、暦応4年(1341)に奪われた 御祭神への信仰を取り戻すため であった、と房総側から論証。

→ 出典:粟飯原氏の謎② 阿波粟飯原氏と八倉比賣神社 後編 未知の駅 總フサ

「佐人=千波足尼」口承継承の発掘

系図中、若室神から9代目「佐人」に「千波足尼ハ佐人又ハ前後ニアル神人中ノ必別名也」と添書きあり。藤原氏に祭祀権を奪われた忌部一族が 出自を偽り、口承で真実を伝えた 痕跡。

→ 暦應4年以降の「千葉氏仮装」→明治期の「粟凡直再表明」という 600年の口承継承 が、千葉側資料からも裏付けられる。


7. 明治期の祭祀防衛戦の総括

闘いの軸内容
政治の闘い政府改名運動 vs 阿波識者の抗議文書
真名の闘い大日孁(中央祭祀化) vs 大粟姫(土着祭祀継承)
系譜の闘い「千葉氏仮装」放棄 → 「粟凡直」再表明
史料の闘い公文書による消去 vs 家伝書・系図による保存
後世への遺産散逸を免れた粟飯原家文書 → 県立文書館に保存

『粟飯原家略傳』の末尾:

此等ノ古傳アリト聞モ委細ニハ出ニ盡シ難シ 概略ヲ記ルス而シ

――書ききれないほどの古伝がある、と粟凡直粲胤は明治10年に書き残した。彼の精神的抵抗が、現代の阿波説の重要な根拠群 を残した。


8. 留保(中立的併記)

注意

  • 明治政府の社名改正・比定統一、『上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿』『粟飯原家略傳』の存在、粟飯原家文書の県立文書館保存といった史料事実は確度が高い(evidence_type: primary_source_based / confidence: 5)。
  • ただし、文書中の「㕝(こと)」字に「嘘」の暗号的告発を読む解釈、粟凡直粲胤が古代姓を「アイキャッチ」として用いたとする読み、改名を「嘘で固められた古からの計画」とみる評価は、いずれも awa-otoko 氏の読解であって、文書そのものの記述と区別して扱う必要がある。
  • 「大粟姫=大日孁」音韻置換を中央祭祀化の意図とみる論や、大宜都比売命の異名群をすべて同一神とみる系図は、阿波側の祭祀正統性主張に基づくものであり、通説(祭神を大日孁命=天照大神とする明治の比定)と対立する。

9. 関連ノート(Vault内)