天石門別八倉比売神社 (あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)

要旨

天石門別八倉比売神社(徳島市国府町西矢野・矢野神山)は、『延喜式』神名帳「阿波国名方郡 天石門別八倉比売神社(大・月次新嘗)」の論社の一つで、主祭神を 大日孁尊(八倉比賣命) とする。『続日本後紀』承和8年(841)以降、元慶3年(879)正四位上まで段階的に神階を進めた国史見在社であり、矢野神山は柿本人麻呂歌など『万葉集』の歌枕でもある。阿波説では本社を 天照大神(大日孁尊)祭祀の中心地 と位置づけ、背後の杉尾古墳をめぐって「天照大神の陵墓」「卑弥呼の終焉地」「邪馬壹國=阿波」といった総合的物語論が展開される(いずれもブログ・在野研究に基づく仮説。末尾「留保」参照)。神格・伝承の各論点は下記の専門ノートに委ねる。


🏛 天石門別八倉比売神社:詳細論考ポータル

以下の各論点は、独立した専門ノートとして詳細化されている。

概要と阿波説における重要性

徳島市国府町の気延山山麓に鎮座する、阿波国で最も重要な神社の一つ。阿波説においては、天照大神(大日孁尊)の真の陵墓であり、邪馬台国の女王・**卑弥呼の終…

🏛 八倉比売神社研究・伝承の各論

日本最古の祭祀形態を今に伝える、阿波説の最重要拠点。…


社伝・伝承

典拠について

以下は本社にのみ伝わる縁起『天石門別八倉比賣大神御本記』(別名『嘘楽(うらく)』)および江戸地誌『阿波志』に基づく社伝・伝承であり、史実としての検証は別途必要(御本記の成立年代・性格については天照大神の葬儀記録:八倉比売大神御本記と嘘楽・御本記 原文全文と史料考察を参照)。

御本記の降臨譚と社名由来

『御本記』は、八倉比賣大神(八倉乃日孁大神)の阿波・気延山への降臨と鎮座を語る。大神は天の八重雲を分けて天降り、大地主神・木股神らに迎えられ、気延の嶺の 下つ磐根に宮柱を立てて鎮座 したと伝える。この縁起のなかで、本社にまつわる地名と社名の由来が次のように説かれる。

地名・社名御本記の由来説話
鮎喰川大神に川魚を奉った折、「鰭の狭き物なれど食ふべし」と宣ったことに因む
矢倉の郷/屋度利の社大神の「御矢を蔵する地」であったことに因む(矢倉=八倉)
御衣足(みそだり)広浜の神が時節の御衣を奉った地
天石門別「天石門押し坐す」がゆゑの名
八倉比売「八倉の郷に坐す姫の御神」なるがゆゑの名
喜多志嶺鎮座の夜、八百万の神々が集い嘘楽(うらく)を奏した地
加久志の谷その嘘楽の手草・諸物を蔵した地

大神は鎮座にあたり「雲の居る 八倉の郷の気延山 下つ岩根に 宮居そめつも」と詠んだと伝え、気延山は「またの名を神山」とも称される。

矢野神山と歌枕

矢野神山(現「杉尾」)は『万葉集』の歌枕としても名高く、柿本人麻呂の「妻隠る矢野神山の露霜ににほひ始めて散らまく惜しも」をはじめ、当山を詠んだ歌が多数収録される(→ 下記「阿波志」)。

神階の沿革(国史所載)

『続日本後紀』以下の六国史により、本社は次のように段階的に神階を進めた国史見在社である(→ 下記「阿波志」・末尾「国史見在社としての位置付け」)。

年神階
承和8年(841)従五位下
貞観7年(865)従四位下
貞観13年(871)従四位上
貞観16年(874)正四位下
元慶3年(879)正四位上

外部参考

関連ノート

🌊 瀬織津姫の終焉地説

tatsumi-99ブログ(2024年)では、本社が 瀬織津姫(女のアマテラス)の終焉地 とされる。

→ これは本社が「天照大神の真の陵墓」「卑弥呼の終焉地」とする阿波説の総合的物語論の核心。

→ 出典:https://ameblo.jp/tatsumi-99/entry-12840311144.html

🔱 邪馬壹國(邪馬台国)阿波比定論との接合

koraku ブログ「魏志倭人伝 考察 IV / V」シリーズで提示された 邪馬壹國=徳島県 比定論によれば:

命題内容
邪馬壹國の中心地神山町〜那賀町〜剣山周辺
卑彌呼の宮室那賀町(杉尾古墳の南方圏内)or 神山町
本社の役割卑彌呼の終焉地・陵墓(杉尾古墳)

杉尾古墳と卑彌呼陵

項目内容
場所本社(天石門別八倉比売神社)背後
時代弥生終末期〜古墳時代極初頭
形態円形周溝墓系統
規模卑彌呼級の有力女王に相応しい

→ 卑彌呼の事績「景初2年(238年)の魏への遣使」「親魏倭王の爵号」と整合する3世紀前半の有力古墳。

神武東征前の阿波王権の継承

  • 邪馬壹國 → 王権の中心:神山町・那賀町
  • 卑彌呼陵 → 本社の杉尾古墳
  • 神武東征:阿波 → 大和への東遷
  • 崇神朝:阿波王権の祭祀権の中央移転

→ つまり、本社は 倭国大乱後の女王制の終焉と、ヤマト王権の阿波本貫 の両方を物的に証言する聖地。

→ 詳細:邪馬壹國・投馬國の阿波比定論:魏志倭人伝の里程と地形証拠

→ 出典:koraku ブログ「魏志倭人伝 考察 IV / V」シリーズ

阿波志(江戸期地誌)

江戸後期の地誌『阿波志』(藤原憲輯)における本社の記載:

延喜式大祀、月次・新嘗ともに祀る。矢野神山(今「杉尾」)にあり、昔は東嶺、今は南麓。地名「天石門」「神田」あり、大泉・小泉あり。続日本後紀承和八年(841)従五位下、貞観七年(865)従四位下、十三年(871)従四位上、十六年(874)正四位下、元慶三年(879)正四位上と段階的に神階を上げた。柿本人麻呂「妻隠る矢野神山の露霜ににほひ始めて散らまく惜しも」(万葉集)など、矢野神山を歌枕とする歌が多数収録される。

→ 全文:阿波志 現代語訳(名西郡 9-5 祠廟の節)

📚 awa-otoko-blog 関連考察

  • awa_otoko_01_氏族_忌部#2016-09-27-矢野神山_天石門別八倉比賣神社記_寫(うつし)から… (出典) — 「天石門別八倉比賣大神御本記」と同内容の「矢野神山 天石門別八倉比賣神社記 寫」全文翻訳。八倉乃日孁大神(=天照大神)の天降りと矢を放った地「矢乃野」、矢を納めた「矢乃御倉」、弓を納めた「弓乃御倉」(今ゆの丸)、松熊二前の神、御衣足、気延の嶺の鎮座、八百萬神の宴の地「喜多志嶺」「加久志の谷」など、八倉比売大神の阿波神山降臨譚を詳細記録。
  • awa_otoko_01_氏族_忌部#2016-09-19-天手力男神の系譜_異名同神・天石門別豊玉比賣は誰なのか? (出典) — 矢野村杉尾明神=天石門別豊玉比賣神説。天手力男神=天石門別神=高皇産霊尊末裔。栲幡千々姫命=大宜都比売命=大粟姫命=大阿波女神=天照皇大神=稚日女尊と同神視。佐那神社(佐那河内村 天岩戸別神社)の三座(手力男・天照・豊受)と矢野神山の祭神を統合する異名同神論。
  • awa_otoko_02_氏族_粟国造_大宜都比売#2016-06-17-埴土の郷_入田に潜にゅうだ(にゅうた:入田)‼︎ (出典) — 入田町(旧名方郡埴土郷波爾井の里)の核心遺跡群を一挙紹介。天石門別八倉比賣神社境内に猿田彦祠が存在することを指摘、入田城(府中殿)が粟飯原氏(横田内勝太夫常宗)の城だったこと、三加茂町横田神社との粟飯原氏ネットワークを論じる。

📜 国史見在社としての位置付け

本社は『続日本後紀』に神名が見える 国史見在社(広義) である(延喜式神名帳と六国史の双方に名が見える神社)。

阿波最高位(正一位)。邦国之大典の主題


留保(中立的併記)

注意

  • 確実なのは:本社が『延喜式』名方郡「天石門別八倉比売神社(大社)」の論社で、大日孁尊(八倉比賣命)を祀ること、『続日本後紀』〜『三代実録』に神階が見える国史見在社であること、矢野神山が『万葉集』の歌枕であること、背後に弥生終末〜古墳初頭の古墳(杉尾古墳)が所在すること。
  • 「天照大神の真の陵墓」「卑弥呼の終焉地・陵墓」「瀬織津姫の終焉地」は阿波説的仮説:tatsumi-99・koraku 等のブログ・在野研究に基づく解釈であり、杉尾古墳の被葬者を卑弥呼・天照大神と同定する一次史料・考古学的物証は確認できない。本社を「論社の一つ」とする延喜式比定(八倉比売神社・上一宮大粟神社・一宮神社が競合)とも別の論点である。
  • 「邪馬壹國=阿波(徳島)」比定論も仮説:魏志倭人伝の里程解釈に基づく説の一つで、通説(畿内説・北部九州説)とは異なる。
  • 杉尾明神=天石門別豊玉比賣神説/異名同神論(天手力男神=天石門別神等) は awa-otoko-blog・平田篤胤説に基づく解釈で、文献的に未確定(→天手力男命:佐那縣の主神と天岩戸の力業)。
  • 本ノートの evidence_type は “primary_source_based”、confidence は 4(延喜式大社・国史見在社・歌枕という事実部分)。ただし陵墓・卑弥呼・邪馬台国・瀬織津姫に関わる物語論は仮説層として上記に隔離した。