阿波忌部と忌部神社
『阿波学会研究紀要』の郷土史・考古学調査に基づく、古代阿波の重要氏族「阿波忌部(あわいんべ)」と、その祖神を祀る式内社に関するまとめ。
🌾 阿波忌部(あわいんべ)とは
古代において宮中祭祀を担当した忌部氏に従属し、阿波国(現在の吉野川市周辺=旧麻植郡)を本拠地とした職能集団。
- 役割: 麻や穀(カジ)の栽培、織物、製紙、農業技術の伝播。
- 大嘗祭と麁服(あらたえ): 天皇即位の重要儀式「大嘗祭」において、阿波忌部の末裔(三木家など)が麻の織物である「麁服」を調進する伝統があり、現在まで続いている。これは阿波がヤマト王権の祭祀において極めて特権的な地位にあったことを示している。
- 東遷の痕跡: 『古語拾遺』には、阿波忌部の一部が東国(千葉県)へ移住し、それが「安房(あわ)」の地名の由来となったと記されており、館山市の「安房神社」などがその足跡である。 👉 関連: 地名と氏族の東遷法則
⛩️ 式内社「忌部神社」の位置づけと論争
阿波忌部の祖神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祀る神社。
- 格式: 『延喜式』神名帳において、阿波国に3社しかなかった「大社(名神大社)」の一つ。
- 所在地論争: 中世以降、その正確な所在地が不明となり、明治時代に激しい論争が起こった。
- 美馬郡説: 現在のつるぎ町貞光の「五所神社」を比定する説。
- 麻植郡説: 旧麻植郡(本拠地)に比定する説。
- 現在の忌部神社: 論争が決着しなかったため、1887年(明治20年)に徳島市二軒屋町の眉山中腹に新たに社殿が築かれ、国幣中社として遷座された。
📍 麻植郡の関連式内社
忌部神社以外にも、阿波忌部が拓いた麻植郡には重要な式内社が存在する。
- 杉尾神社(吉野川市鴨島町)
- 式内社「天水沼間比古神天水塞比売神社(あめのみぬまひこのかみあめのみずせきひめかみのやしろ)」に比定。水神・祈雨の神。
⛏️ 考古学的痕跡
- 忌部山型石室: 吉野川市周辺の古墳に見られる独特の横穴式石室。阿波忌部一族の墓制と考えられている。
参考資料
- 徳島県立図書館『阿波学会研究紀要』(歴史学班・考古学班報告)
- 一次史料インデックス_ポータル
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