考古学から見た三嶋神・三嶋大明神と『三宅記』

考古学から見た三嶋神・三嶋大明神と『三宅記』

概要

本稿は、伊豆諸島の島焼き(島造り)伝説を記した『三宅記』の内容を、考古学的視点から再検討するものである。三嶋大明神の信仰の実態について、三宅島、利島、神津島、伊豆半島、三島市に点在する神社境内の遺跡や出土遺物からその歴史的背景を辿る。

主な検討の視点

1. 『三宅記』の背景と考古学

『三宅記』は、伊豆国一宮である三嶋大明神が薬師如来を本地仏とし、三宅島を拠点に伊豆諸島を創生したという縁起物語である。本研究では、この物語が成立した中世(12世紀以降)から、それ以前の古代に遡る祭祀の痕跡を、埋蔵文化財の観点から検証する。

2. 主要な境内遺跡と出土遺物

各地の神社境内からは、以下のような重要な遺物が報告されている。

  • 富賀神社(利島): 古代の勾玉、管玉、金環などの副葬品とともに、中世の常滑、渥美、瀬戸・美濃などの陶磁器や鏡が出土。12世紀後半から15世紀にかけての祭祀の継続性が認められる。
  • 阿豆佐和気命神社(利島): 12世紀後半から13世紀の和鏡や陶磁器、祭祀遺構が確認されており、島内における有力な祭祀拠点であったことが窺える。
  • 三嶋大社(静岡県三島市): 12世紀以降の祭祀形態の変化が顕著であり、武家による祭祀の定着や、鎌倉将軍家との結びつきを示す遺物が確認されている。
  • 白濱神社(下田市): 伊豆諸島を望む勝地に所在し、12〜13世紀の祭祀遺構(集石遺構など)や和鏡、鉄製品などが多数出土している。

3. 祭祀の変遷と「三嶋神」の画期

考古学的資料から、以下の三つの画期が認められる。

  • 第一画期(7〜8世紀): 伊豆諸島の火山活動(噴火)に対応した、国家的・公共的な神祇祭祀の時代。伊豆諸島各地で石を積み上げるなどの原初的な祭祀形態が見られる。
  • 第二画期(9〜11世紀): 国衙祭祀の拠点としての性格が強まり、各地の「三嶋神」が階位を累進させていく時期。
  • 第三画期(12世紀以降): 鎌倉幕府の成立とともに武家祭祀が定着。『三宅記』に見られる神仏習合や本地垂迹説的な世界観が萌芽し、薬師如来と神像がセットで祀られるような形態が一般化する。

結論

考古学的に見た三嶋神の信仰は、伊豆諸島の火山活動という自然現象への畏怖に端を発し、やがて中世的な本地垂迹の世界観へと統合されていった。『三宅記』に描かれた物語は、単なる説話ではなく、伊豆諸島から三島へと遷座・展開した歴史的な祭祀の脈絡を反映したものである。現在の伊豆諸島の民俗信仰には、こうした中世以来の三嶋信仰が根強く引き継がれている。


図版等リスト(抜粋)

図番号内容
第一図三嶋大明神関連社堂境内遺跡
第二図薬師堂・御祭神社 仏頭残欠・神像残欠
第三図薬師堂境内遺跡 同安窯系青磁碗・渥美甕・州浜桜樹双雀鏡
第四図御笏神社境内遺跡 渥美壺
第六図東京都利島村 阿豆佐和気命神社境内遺跡
第八図静岡県三島市 三嶋大社境内遺跡

関連ノート

三宅記 MOC・関連史料

本論文に登場する主要神社(伊豆国式内社)

阿波説の文脈