賀茂神社

📚 土佐 賀茂神社 — 幡多郡黒潮町入野に鎮座する式内社。阿波説では京都・上賀茂神社の元宮を阿波(東みよし町・鴨神社)に求め、本社はその阿波元宮から土佐西端へ展開した賀茂氏祭祀の南端拠点とされる。

基本情報

  • 延喜式記載: 土佐国 幡多郡 賀茂神社
  • 読み: カモノ
  • 社格: 小
  • 比定社・論社: 加茂神社
  • 所在地: 幡多郡黒潮町入野
  • 郵便番号: 789-1931

祭神と社伝

  • 主祭神は 賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)、配祀に賀茂建角身命・玉依姫命を伝える。
  • 山城国(京都)の上賀茂・下鴨両社の祭神と一致し、賀茂氏の祖神祭祀の土佐版。
  • 黒潮町入野の地は古代からの良漁港で、海人系賀茂氏との関連が示唆される。

歴史

  • 延喜式神名帳(927年)に「土佐国 幡多郡 賀茂神社」として記載。
  • 中世以降、入野郷の鎮守として崇敬。
  • 太平洋に面した松原・砂浜の景勝地に隣接。

命題の構造

観点通説阿波説
賀茂氏の本貫大和葛城本貫→山城賀茂に展開、土佐へは高鴨神配流(769年)で祭祀が及んだ阿波国麻植郡・名方郡を本貫とし、京都上賀茂神社の元宮も阿波(鴨神社・東みよし町三加茂)とみる
主祭神の系譜味鋤高日子根神/大鴨積命(事代主神孫、旧事本紀)など諸説併存、明治期整備で別雷神説も追加(明治神社誌料は「異説あり」と明記)大鴨積命=事代主神の孫と読み、阿波郡事代主神社(事代主の本源)からの世代的展開とみる
土佐神社との関係特選神名牒は「都佐坐神社の由縁によりて其氏人の此に住る者の祭りしものなるべし」と土佐神社氏人の移住とみる阿波名方郡(葛城)→土佐郡(土佐神社)→幡多郡(賀茂神社)という二段階の祭祀拡張モデルとして延長する
立地(黒潮海岸)良港・松原の景勝地、海人的性格の指摘は限定的海人系賀茂氏が阿波(粟海部)から土佐・伊豆へ海路で拡張した物証とみる

※「通説」列は神社覈録・神祇志料・特選神名牒・明治神社誌料に基づく一般的理解、「阿波説」列は本ノート既述のawa-otoko解釈。各論点の詳細は下記「阿波説における詳細論点」、対立点は「留保」を参照。

阿波説における意義

賀茂氏は阿波説では阿波国麻植郡・名方郡を本貫とする一族とされ、阿波の鴨神社(阿波)(東みよし町三加茂)・多祁御奈刀祢神社 が京都・上賀茂神社の元宮とみなされる。本社は、阿波元宮の賀茂氏祭祀が四国南岸経由で土佐西端まで伝播した物証として位置付けられる。阿波→土佐の祭祀東遷(南遷)ルート上、最西端の到達点であり、黒潮海流に乗った海上ネットワークの一翼を担う。同郡の伊豆多神社・高知坐神社とともに、土佐西端の阿波系祭祀の核心を構成する。京都・上賀茂神社の元宮論を地理的に補強する重要拠点である。

関連神社・関連氏族

現地情報

  • アクセス:幡多郡黒潮町入野。土佐くろしお鉄道土佐入野駅から徒歩。
  • 主要祭事:例祭 秋季。
  • 入野松原(国の名勝)に隣接、太平洋を望む立地。

古典・近世文献における賀茂神社(幡多郡)

本社は現在「加茂八幡宮」を通称とし、入野松原に隣接する古社である。延喜式神名帳の「賀茂神社」と中世以降の八幡信仰が南賀茂・北八幡の合祭として一体化した経緯を持つ。祭神比定は古来諸説あり、ここに整理する。

『延喜式神名帳』〈延長5年(927)〉

土佐國 幡多郡 賀茂神社(かもの かみのやしろ)

幡多郡 3座(並小)の一つ。他の二座は伊豆多神社(土佐清水市)、髙知坐神社(宿毛市平田町戸内)である。土佐西端の祭祀拠点群を形成する。

『土佐國式社考』(江戸期)

賀茂神社 入野村に在り。八幡同字、南賀茂、北八幡也。舊兩社各在ニ本村、不知何時徒ニ併干此。

→ 元来、賀茂社と八幡社は別社で各々入野村内に在ったが、いつの時代にか現在地に合祀された、と伝える。

『神社覈録』〈明治3年(1870)〉

賀茂神社 賀茂は假字也

〇祭神 詳ならず、〔考証云、大賀茂都美命〕

〇入野村 入野松原 八幡宮相殿に在す。南賀茂北八幡。

〇〔連胤〕云、高知坐神の部類たるに依て祭り來れるならん。

類社 山城國愛宕郡 賀茂別雷神社の條見合すべし

連胤按語が決定的:「高知坐神の部類」由縁 — 同郡の高知坐神社(宿毛市平田町戸内、味鋤高彦根命)との祭祀的連続性を指摘する。これは阿波説とは独立に、土佐西端における 高鴨味鋤高彦根命系祭祀圏 の存在を示唆する重要な傍証である。

『土佐名勝志』〈大正2年(1913)〉

賀茂神社 入野松原に在り。八幡宮と仝社にて、南は賀茂社、北は八幡社なり。もと別社にて各本村に在りしを、何時の世よりか遷してここに合祭せりといふ。

賀茂社は延喜式現在式社にて、祭神は事代主神孫 鴨王(かものおう)又 大鴨積命(おほかもつみのみこと)ならんといふ。

ここで初めて 「事代主神孫=鴨王=大鴨積命」説 が明示される。これは旧事本紀「事代主神孫 鴨王、又曰 大鴨積命、磯城瑞籬朝御世(崇神朝)、賜ニ賀茂君姓」に基づく系譜であり、阿波説の核心的主張(事代主神=阿波郡 事代主神社、賀茂氏=阿波長国造系統)と接続可能である。

『神祇志料』〈明治9年(1876)〉

賀茂(カモノ)神社。今 入野村に在り。盖 味耜高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)を祭る。

『特選神名牒』〈明治9年(1876)〉

祭神 味鉏高日子根神。さらに「高鴨味鉏高日子根神なるべく思はる。さて當国に都佐坐神社ある上に、此にも此神を祭れるは 都佐坐神社の由縁によりて其氏人の此に住る者の祭りしものなるべし」

→ 特選神名牒は明示的に「土佐神社の氏人が幡多郡入野に移住して祀ったもの」と推測する。これは土佐神社(土佐郡)から幡多郡への祭祀拡張、すなわち 土佐国内部の祭祀東遷(西遷) を示唆する。

『明治神社誌料』〈明治45年(1912)〉

祭神 別雷(ワキイカヅチノ)神。合殿 八幡宮〔帶中彥命、息長足姫命、品陀別命、武内宿禰命〕

創立年代詳ならず、延喜の制 式の小社に列し、當國廿一座のーにして社領一石七斗二升を有し、古より當村の產土神たり。明治五年 郷社に列す。

……重遠謂、當社本緣 當與ニ 殖田神社條 並考、とあり。然れども祭神につき異説あり、即ち神祇志料は味耜高日子根神と祭るとせり、神社覈録は祭神不祥にして……共に揭げて後考に備ふ。

→ 明治神社誌料は 「祭神につき異説あり」 と明記し、

  1. 別雷神(明治期の整備)
  2. 味耜高日子根神(神祇志料・特選神名牒)
  3. 大賀茂都美命(神社覈録 考証)
  4. 大鴨積命=鴨王=事代主神孫(土佐名勝志)
  5. 祭神不祥(神社覈録 本文)

の 諸説併存 を後世の検討に委ねている。本社の祭神は古典的には確定していない。

宝永地震・安政津波伝承

宝永の大地震の時、津波により社殿が浸水し浮くという被害にあいましたが、津波が引くと寸分たがわず元の場所に戻ったという言い伝えが残っています。(黒潮町観光公式サイト)

境内の「安政津波の碑」(安政四年・1857建立)は、安政元年(1854)の南海地震に伴う津波被害の詳細を刻む土佐西端の貴重な災害史料である。本社が太平洋に直面する海岸祭祀地であることを示す。

阿波説における詳細論点

論点1:「事代主神孫=鴨王=大鴨積命」と阿波郡 事代主神社の連続

土佐名勝志の「事代主神孫 鴨王 又 大鴨積命」説は、阿波説の核心と接続する:

  • 阿波国 事代主神社(阿波市市場町伊月)は 全国の事代主祭祀の本源(元宮) とされる
  • 旧事本紀「事代主神孫 鴨王(大鴨積命)、磯城瑞籬朝御世、賜ニ賀茂君姓」 — 賀茂氏は事代主神の孫を祖とする
  • ゆえに、土佐 幡多郡 賀茂神社の祭神「大鴨積命」は、阿波郡 事代主神社の祭神 事代主命の孫である

すなわち、阿波郡(事代主) → 土佐幡多郡(その孫・大鴨積命) という父祖―孫世代の祭祀的接続が文献上成立する。これは阿波→土佐の祭祀東遷(南遷)の系譜的根拠の一つとなる。

論点2:「土佐神社氏人の移住」と土佐神社=阿波葛城祭祀圏の連続

特選神名牒は「都佐坐神社の由縁によりて其氏人の此に住る者の祭りしものなるべし」と、本社を 土佐神社からの氏人移住 と明確に推測する。土佐神社(味鋤高彦根命)は阿波説で阿波名方郡の葛城(神山町・佐那河内村)からの祭祀分派と読まれる。すなわち:

阿波名方郡(葛城) → 土佐郡(土佐神社) → 幡多郡(賀茂神社)

という二段階の祭祀的拡張モデルが、明治期の文献(特選神名牒)の中に既に内包されている。阿波説はこれを延長して、阿波→土佐への一連の流れを描く。

論点3:黒潮海上ネットワークと海人系賀茂氏

入野は太平洋に直面する良港・松原景勝地であり、黒潮海流上の祭祀拠点である。阿波説では、賀茂氏は 海人系氏族 として阿波(牟夜津・粟海部)から土佐(幡多)、さらに伊豆(三嶋大社・神津島)へと海路で拡張したと読み解かれる。本社の立地(太平洋海岸・松原・港)は、この海人系賀茂氏の祭祀的物証として整合する。

論点4:京都上賀茂神社の元宮論との位置付け

阿波説では京都上賀茂神社(賀茂別雷神社)の元宮を 阿波国 鴨神社(東みよし町三加茂) とする(鴨神社(阿波))。本社の祭神に「別雷神」が含まれる(明治神社誌料の主祭神)ことは、阿波元宮 → 土佐西端 → 山城上賀茂 という拡張モデルの中間項として位置付けられる。

ただし、これは 明治期の祭神整備 の結果である可能性が高く、古典的一次史料(神社覈録・神祇志料・特選神名牒)はいずれも別雷神を主祭神とせず、味鋤高彦根命または大鴨積命を有力候補とする点に留意。

関連神社・関連氏族(追加)

留保

通説との対立点

  1. 京都上賀茂神社元宮論:阿波説の「京都上賀茂神社の元宮=阿波鴨神社(東みよし町)、土佐賀茂神社はその南遷拠点」とする読み解きは、通説(賀茂氏は大和葛城本貫 → 山城賀茂、土佐は神護景雲三年・769年の高鴨神配流後の祭祀)と真っ向から対立する。一次史料は阿波→山城→土佐の方向を支持していない。

  2. 「事代主神孫=大鴨積命」系譜:旧事本紀の系譜(事代主神孫 鴨王=大鴨積命)は古典的一次史料に基づくが、これを「阿波郡 事代主神社(事代主の本源)からの世代的展開」と読むのは阿波説独自の解釈である。通説では事代主神=出雲神話の文脈、または大和御諸山の神として読まれる。

一次史料の限界

  1. 祭神の不確定性:明治神社誌料が明示するように、本社の祭神は古典的に 「不祥」 とされ、

    • 別雷神(フロントマター・明治神社誌料)
    • 味鋤高彦根命(神祇志料・特選神名牒)
    • 大賀茂都美命(神社覈録 考証)
    • 大鴨積命=鴨王(土佐名勝志)
    • 賀茂建角身命・玉依姫命(現フロントマター aliases 由来、出典不明)

    の諸説併存状態である。本ノートのフロントマターに記載する deities は近世以降の整備の一断面に過ぎず、古層の祭神は 文献上は確定不能 である。

  2. 賀茂建角身命・玉依姫命説の出典欠如:本ノートのフロントマター deities に掲載される「賀茂建角身命・玉依姫命」は、神社覈録・神祇志料・特選神名牒・明治神社誌料いずれにも記載が見当たらない。これは現代の社頭案内または現代社家伝承に基づく可能性が高く、古典文献からの裏付けは欠ける。

  3. 南賀茂・北八幡の合祭年代:両社の合祭年代は「何時の世よりか」(土佐名勝志)と不明で、合祭以前の賀茂社単独の祭祀実態は史料上の空白がある。

  4. 特選神名牒「土佐神社氏人移住」説:明治期の推定であり、考古学的・系図的な物証は伴わない。土佐神社から幡多郡への氏族移住を立証する史料は現時点で存在しない。

評価指標

  • evidence_type: 延喜式・賀茂系祭祀(古典的一次史料は延喜式神名帳のみ、祭神比定は明治期の二次推定)
  • confidence(一次史料に裏付けられる事項): 高 — 延喜式所載、入野村鎮座、「高知坐神の部類」(神社覈録 連胤按)、宝永・安政の津波伝承
  • confidence(祭神比定): 低〜中 — 古典文献は「祭神不祥」、明治期の比定も諸説併存
  • confidence(阿波説解釈): 中 — 「事代主神孫=大鴨積命」系譜は旧事本紀に基づくが、阿波郡 事代主神社からの世代的展開は解釈レベル。通説(大和葛城起源、続日本紀の高鴨神配流)と対立する

関連論考

関連リンク

📚 参照資料(ブログ・Web自動)

  • 2012-11-18-とりあえず浮上 阿波町 賀茂神社
  • 2016-02-07-私信:阿波市阿波町新開 賀茂神社
  • 2022-08-30_【阿波の神社を行く!】京都上賀茂神社の元宮? 延喜式内社「鴨神社」(東みよし町三加茂)

📚 参照資料(ブログ・Web本文マッチ)

  • 2023-01-30_【古代史散策一人旅】わずか10年、短命の都「長岡京」のあった京都府向日市を散策する! (本文中 “賀茂神社” ×4)
  • 下加茂神社 (本文中 “賀茂神社” ×3)

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