天智天皇

要旨

天智天皇は乙巳の変・大化改新・白村江の戦い・近江令・庚午年籍など7世紀後半の国家形成を主導した、実在が確実視される天皇である。阿波説の論点はその実在を疑うものではなく、宮(大津宮)や活動拠点の所在地を畿内から阿波(鳴門一帯)へ読み替えるものである。柱は、(1) 近江大津宮を鳴門市撫養町木津に比定する地名論、(2) 鳴門市北灘の葛城神社が「葛城皇子=天智」を隠れ祭神とする社伝、(3) 万葉集の大和三山歌を阿波三峰の歌とみる解釈、(4) 中臣鎌足=阿波の中臣氏とする説で、いずれも主に awa-otoko ブログによる単一論者の地名・祭祀比定であり、物証はない。本ノートの evidence_type は established_historical と blog_hypothesis の混在、confidence は 2。

1. 概要

  • 読み: テンジテンノウ(てんちテンノウ)
  • 諱(実名): 葛城(かづらき)。一般に 中大兄皇子(なかのおおえのみこ) として知られる
  • 和風諡号: 天命開別尊(アメミコトヒラカスワケノミコト)
  • 漢風諡号: 天智天皇(奈良時代に淡海三船が撰したとされる)
  • 代数: 第38代
  • 父: 舒明天皇(田村皇子。第34代)
  • 母: 皇極(斉明)天皇(宝皇女。第35代・第37代)
  • 同母弟: 大海人皇子(のちの天武天皇。天武天皇)
  • 生没: 推古34年(626年)〜天智10年12月(672年1月)
  • 通説の宮: 近江大津宮(おうみおおつのみや。滋賀県大津市。667年遷都)
  • 通説の陵: 山科陵(やましなのみささぎ。京都市山科区の御廟野古墳)
  • 登場文献: 『古事記』(軽く触れる程度)『日本書紀』『万葉集』

史料的性格

天智天皇は、乙巳の変(645年)・大化改新・白村江の戦い(663年)・近江令・庚午年籍など、7世紀後半の国家形成を主導した天皇として 史料的にも実在が確実視される 時代の人物である。この点で記紀のみに依拠する欠史八代や倭五王代の天皇とは史料状況が大きく異なる。阿波説の論点は、その 実在を疑うものではなく、宮(大津宮)や活動拠点の所在地 を畿内から阿波(鳴門一帯)へ読み替えるものである。

2. 阿波説における位置づけ

天智天皇については、記紀が直接「阿波」と明記する説話は存在しない。阿波説における天智の扱いは、(1) 近江大津宮を阿波・鳴門の木津に比定する地名論、(2) 鳴門市北灘の葛城神社が「葛城皇子=天智」を隠れ祭神とするという社伝、(3) 万葉集の大和三山歌を阿波三峰の歌とみる解釈、を柱とする。いずれも主に awa-otoko ブログによる単一論者の地名・祭祀比定 であり、単独祭祀の式内社や考古資料による裏づけはない。

論点通説阿波説/四国比定の解釈
諱「葛城(かづらき)」大和葛城に由来する皇子名鳴門市北灘の 葛城神社(葛城大明神) が天智を祀る社伝。葛城皇子=同社祭神とみる(awa-otoko)
「淡海(あふみ)の大津宮」近江=琵琶湖畔の大津淡海=阿波海(本居宣長の「阿波宇美」説を援用)。大津宮を鳴門市撫養町 木津(古津上山・古津神浦) の金比羅宮周辺に比定
「近江の古津を大津と称す」改称記事平安遷都時の近江大津命名天智朝(667年)当時、滋賀の「大津」地名は未成立 → 大津宮は近江ではないとする論拠に転用
大和三山(『万葉集』天智歌)香久山・畝傍山・耳成山(奈良)阿波三峰(日峰山=香久山、中津峰山=畝火山、多家良町八多の耳梨山)の歌とみる
忠臣・中臣鎌足大和の中臣氏板野郡西山麓の 「那賀の登美の鎌子」一族 が阿波在住の中臣氏とする(awa-otoko)

→ 阿波説は天智を 鳴門一帯(北灘・撫養)を政治拠点とした天皇 と解する。ただし上記はいずれも地名・社伝レベルの解釈であり、在位地としての物証(単独祭祀式内社・古墳・金石文)は確認されていない。

3. 主要事績(通説)

  1. 乙巳の変(645年):中臣鎌足とともに蘇我入鹿を討ち、蘇我本宗家を滅ぼす。
  2. 大化改新:皇太子(中大兄)として孝徳・斉明朝の国政改革を主導。
  3. 白村江の戦い(663年):百済救援軍を派遣するも唐・新羅連合に大敗。以後、防衛体制(水城・山城)を整備。
  4. 近江大津宮遷都(667年)と即位(668年):飛鳥から近江へ遷都し、翌年正式に即位。
  5. 漏刻(水時計)・庚午年籍・近江令:時刻制度・全国的戸籍・法制の整備を進める。

4. 系譜(阿波説の整理)

舒明天皇(田村皇子)
   × 皇極/斉明天皇(宝皇女)
        ↓
   ├ 中大兄皇子=天智天皇(第38代)── 諱「葛城」
   └ 大海人皇子=[[天武天皇]](第40代。同母弟)
        ↓
   ├ 大友皇子(弘文天皇)
   └ 鸕野讚良皇女=[[持統天皇]](天武の后)

5. 阿波・四国の関連論点

5-1. 淡海の大津宮=鳴門市木津(撫養町)

awa-otoko 説の中核。鳴門市撫養町の 木津(きず。古称・古津上山/古津神浦) は、吉野川の淡水と紀伊水道の海流が打ち寄せる「阿波第一の名勝」と称された古代の泊(とまり)であり、木津上山の 金比羅権現とその別当寺・長谷寺 周辺を天智の「淡海の大津宮」に比定する。論拠は三点:

  1. 「淡海=阿波海」説:本居宣長が「あふみ(淡海・近江)」を「阿波宇海(あわうみ)」の約と説いたことを援用し、淡海を琵琶湖ではなく紀伊水道の「阿波海」とみる。
  2. 「泊瀬=長谷」の地名連関:舟泊まりの地「泊瀬(はつせ)」が「長谷(はせ)」に通じ、木津の長谷寺と結びつく(同地は雄略天皇の「長谷朝倉宮」にも比定される)。
  3. 「古津を大津と称す」改称論:平安遷都時に「近江の古津を大津と称す」とあることから、天智朝(667年)当時に近江の「大津」地名は未成立だったとし、大津宮の近江所在を疑う。

awa-otoko は鳴門市大津町木津野の「大津」地名もこの比定の傍証に挙げる。ただしこれらは地名解釈・語源説に依拠したもので、宮跡を示す遺構・木簡等の物証はない。

5-2. 鳴門市北灘の葛城神社=天智天皇

板野郡(鳴門市)北灘に鎮座する 葛城神社(葛城大明神) には、本来 天智天皇を祀る という社伝が残る(現祭神は葛城一言主神に差し替えられているとされる)。阿波説は天智の諱「葛城(葛城皇子)」と社名の一致を根拠に、同社を天智奉斎の社とみる。awa-otoko 自身は、天智奉斎の伝承と、神山町・神領の葛倉宮に祀られる 葛木男神 に由来する「葛城一族(鴨族)」の祭祀とが混同して継承された可能性を併記しており、断定はしていない。

  • 関連:大宜都比売命の伴神・大麻比古神が板野郡に降臨するとの伝承から、葛木男神も板野郡に坐した可能性を示唆する。

5-3. 大和三山=阿波三峰と天智の万葉歌

『万葉集』の中大兄(天智)の三山歌(「香具山は 畝傍を愛しと…」「高山は 雲根火雄々し…」)について、阿波説は舞台を奈良の大和三山ではなく 阿波の三峰(日峰山=香久山、中津峰山=畝火山、多家良町八多の耳梨山)とみる。三山の争いの歌は阿波三峰の地形を詠んだものとする解釈である。

5-4. 忠臣・中臣鎌足と阿波の中臣氏

awa-otoko は、葛城神社と同じ板野郡の西山麓に天智の忠臣・中臣鎌子(「那賀の登美の鎌子」)一族 が居住したとし、阿波に中臣氏(藤原氏の前身)の本拠を求める。これも鳴門一帯を天智の拠点とみる立論の一部である。

5-5. (傍証・四国外)天智=蘇我連子説と開聞岳

fusa ブログは鹿児島・開聞岳の 大宮姫(瑞照姫)伝説 と天智天皇を結びつけ、独自の「天智天皇=蘇我連子説」を展開する。これは鹿児島(南九州)中心の議論であり、阿波との接続は 蘇我氏の「月日星=三光紋」 を介した間接的な傍証にとどまる(→阿波蘇我氏)。

6. 関連ノート(Vault内)

7. 参照資料(ブログ・Web)

  • 2015-01-04-阿波に存在した「淡海の大津宮」 (出典)
  • 2016-02-20-天智天皇はフェイク!?_葛木男神の影… (出典)
  • 蘇我氏と開聞姫の伝説(天智天皇=蘇我連子説・三光紋) (出典)

8. 留保(中立的併記)

注意

  • 歴史的実在は確実だが、阿波説の論拠は地名・社伝レベル:天智の実在・主要事績(乙巳の変・白村江・近江遷都)は通説・史料に基づき確実視されるが、それは阿波説の論拠ではない。阿波説の固有の主張は「宮・拠点が鳴門一帯にあった」とする読み替えであり、その典拠は実質的に 単一論者(awa-otoko)の地名・祭祀比定 に集中する。
  • 「淡海=阿波海」「古津=大津」は語源・地名解釈:大津宮=木津説は本居宣長の語源説と「泊瀬/長谷」「古津/大津」の地名連関に依拠し、宮跡を示す遺構・木簡等の物証はない。通説(滋賀県大津市・錦織遺跡を大津宮跡とする)と真っ向から対立する。
  • 葛城神社の祭神は確定しない:北灘葛城神社の天智奉斎伝承は、葛木男神由来の葛城一族(鴨族)祭祀との混同の可能性を提唱者自身が認めており(awa-otoko)、現祭神は葛城一言主神。天智単独祭祀の式内社は阿波に存在しない(孝昭・開化のような単独祭祀の物証を欠く)。
  • 代数の混乱に注意:典拠ブログ(awa-otoko)には「第38代」と「第39代」の両表記が混在するが、正しくは 第38代。
  • 陵の阿波比定はない:本ノート執筆時点で参照できる阿波説資料に、天智陵(山科陵)を阿波へ比定する具体論は見当たらない。
  • 天智=蘇我連子/開聞岳説は四国外:fusa の天智=蘇我連子説は鹿児島中心で、阿波への接続は蘇我氏の三光紋を介した傍証にとどまる。
  • evidence_type:established_historical(実在・主要事績=記紀/史料に基づく確度の高い事項)と blog_hypothesis(大津宮=木津・葛城神社・大和三山=阿波三峰・中臣=那賀登美の四国比定)の混在。
  • confidence:2 — 阿波説的な比定材料は 量は豊富だが、いずれも単一論者の地名・社伝解釈にとどまり、単独祭祀式内社・考古の裏づけを欠く。総論ノート(古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで)も天智〜持統期を「弱」と評価しており、これに整合させた。