皇極天皇

要旨

皇極天皇(第35代・女帝)は、阿波説において諱・諡号の語義と皇極紀の事跡比定の双方から「阿波に基盤を置いた海人族系の女帝」として論じられる。諡号「足(たらし)」を阿波海人の布の称号、諱「財(たから)」を徳島市多家良町の地名、皇極紀の雨乞地「南淵河上」を勝浦川支流・八多川/速雨神社(徳島市八多町)に比定する三系統が中心。ただし材料は断片的で、いずれも記紀の語句・地名を阿波の地名や式内社に当てはめるブログ仮説段階の議論である。皇極は重祚して斉明天皇(第37代)となった同一人物で、斉明期の論点は斉明ノートに分ける。

1. 概要

  • 読み: コウギョクテンノウ
  • 諱: 宝皇女(タカラノヒメミコ)
  • 諡号: 天豊財重日足姫尊(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノミコト)
  • 代数: 第35代(女帝)
  • 父: 茅渟王(ちぬのおおきみ/敏達天皇の孫)
  • 母: 吉備姫王
  • 夫: 舒明天皇(第34代)
  • 子: 天智天皇(中大兄皇子・第38代)、天武天皇(大海人皇子・第40代)
  • 重祚: 第37代 斉明天皇 として再び即位(→ 留保参照)
  • 在位(通説): 642年〜645年(乙巳の変で譲位)
  • 登場文献: 『日本書紀』

2. 阿波説における位置づけ

皇極天皇は、阿波説において 諱・諡号の語義 と 皇極紀の事跡比定 の双方から「阿波に基盤を置いた海人族系の女帝」として論じられる。ただし材料は断片的で、いずれも記紀の語句・地名を阿波の地名や式内社に当てはめる ブログ仮説段階 の議論である。

阿波説の主張は大きく三系統に分かれる。

論点通説阿波説の比定
諡号「足(たらし)」美称・尊称阿波の海人が海中で着けた長い布「たらし(帯)」に由来する海人族の称号
諱「財(たから)」美称徳島市多家良(たから)町 の地名に由来する出身地名
皇極紀の雨乞地「南淵の河上」飛鳥・南淵(奈良県明日香村)勝浦川支流・八多川/祈雨の地=速雨神社(徳島市八多町)

→ これらを束ねて、阿波説は皇極を 阿波(多家良・八多地域)に出自を持つ海人族系の姫 とみる。

3. 阿波比定の核心論点

3-1. 諡号「足(たらし)」=阿波海人族の称号

阿波説(awa_kodaisi 系サイト)は、舒明(息長足日広額)・皇極(天豊財重日足姫)に共通する「足/帯(たらし)」を、阿波特有の語とする。曰く、「たらし」とは阿波の海人・海女が海中で身体より長く垂らして着けた布(鱶よけの呪具)を指し、海に縁のない奈良には生じ得ない呼称 である、と。景行(大帯日子)・成務(若帯日子)・仲哀(足仲彦)・神功(息長帯姫)にも同字が連なることを傍証として、これら諡号を阿波海人族の出自標識と解する。

3-2. 諱「財(たから)」=徳島市多家良町

awa-otoko’s blog(2014-12-25)は、皇極の諱「宝(たから)/天豊財重日足姫」の「財(たから)」を 徳島市多家良(たから)町 の地名に由来するとし、皇極を「多家良町で生まれた海人族系の姫」とみる。「帯(たらし)」を上位の海人族の標識と重ね、出身地名+海人標識の二重の根拠とする。

3-3. 皇極紀の雨乞地「南淵河上」=速雨神社(八多町)

『日本書紀』皇極元年(642年)八月条は、旱魃に際し天皇が 南淵の河上 に幸して四方を拝し祈雨したところ、五日にわたり大雨が降り天下を潤したと記す。阿波説(awa-otoko)は、この 南淵河上を勝浦川支流の八多川 に、祈雨の地を式内 速雨神社(徳島市八多町、祭神・豊玉姫命)に比定する。海神綿津見の娘・豊玉姫の神威を借りる祈雨として、海人族系の女帝・皇極の祭祀と整合させる立場である。この比定は 速雨神社 のノートにも記載がある。

留意(鳴き出しの注記)

皇極紀の祈雨の故事そのもの(南淵河上で雨乞い→五日大雨)は一般日本史であり、阿波説の独自性は その故地を阿波の八多川・速雨神社に置く比定の一点 にある。本ノートはこの「地理的比定」のみを阿波論拠として扱う。

3-4.(補足・弱い論点)蘇我氏祖廟=石井町城ノ内

『日本書紀』皇極紀には「蘇我大臣蝦夷、己が祖廟を葛城高宮に立てて八佾の舞を為す」とある。阿波説(岩利大閑『道は阿波より始まる』、marine816/koraku 系)は、この蘇我氏祖廟を 徳島県名西郡石井町城ノ内の曽我氏神社 に比定する。ただし当社の現行由緒は鎌倉期の 曽我兄弟 を祀るもので、蘇我氏との連結は阿波説側の再解釈である(→ 留保参照)。

4. 系譜(通説)

敏達天皇 ──孫── 茅渟王 × 吉備姫王
                       ↓
                  皇極天皇(宝皇女)  × 舒明天皇(第34代)
                       │(=重祚して第37代 斉明天皇)
                       ├ 天智天皇(中大兄皇子・第38代)
                       └ 天武天皇(大海人皇子・第40代)
  • 皇極は夫・舒明の崩御後に即位(第35代)、乙巳の変で弟・孝徳に譲位、孝徳崩御後に 斉明天皇(第37代)として重祚 する。
  • 皇極=斉明は同一人物であり、子の天智・天武を介して以後の皇統に連なる。

5. 主要関連ノート

6. 阿波の関連祭祀地・地名

  • 徳島市多家良町(諱「財」の比定地)
  • 速雨神社(徳島市八多町、皇極雨乞いの比定地)
  • 名西郡石井町城ノ内・曽我氏神社(蘇我氏祖廟の比定地、弱い論点)

7. 留保

注意

  • evidence_type: blog_hypothesis。confidence: 2。
  • 重祚=斉明である点:皇極天皇(第35代)は、孝徳天皇崩御後に 斉明天皇(第37代)として再即位(重祚) した同一人物である。本ノートは便宜上「皇極」期を中心に扱い、斉明期(朝倉宮・百済救援等)は 斉明天皇 ノートに分ける方針による分割であって、別人ではない。
  • 諱・諡号論は重祚した同一人物の名:諡号「天豊財重日足姫」「財(たから)」「足(たらし)」は皇極=斉明の単一の名に基づく議論であり、斉明ノートの論拠とも完全に重複・共有される。名前由来の阿波比定は皇極・斉明いずれの側でも同じ根拠に立つ。
  • 「足/帯=阿波海人の布」説(awa_kodaisi)は語呂・語義の解釈であり、文献的・考古的な裏づけはない。同字は記紀の多くの古い天皇諡号に通有で、皇極個人を阿波に結ぶ固有の証拠とはなりにくい。
  • 「財=多家良町」説(awa-otoko)は地名の音通に基づく仮説で、史料上の典拠はない。
  • 「南淵河上=八多川/速雨神社」説は、出典の awa-otoko 記事自身が 「残念ながら詳しい文献等は確認されておりません」 と明記しており、通説(飛鳥・南淵)と競合する地名比定にとどまる。
  • 「蘇我氏祖廟=石井町曽我氏神社」説は、当社の現行由緒(鎌倉期の曽我兄弟を祀る)と矛盾し、阿波説側の再解釈である。江戸期の国学者・永井精古も「曽我兄弟を祀るいわれはない」と評しており、確実な阿波論拠ではない。
  • 一般日本史(乙巳の変、雨乞いの霊験譚そのもの)は阿波論拠としての独自性を持たないため、概要・系譜の同定情報以上には立ち入っていない。
  • 舒明・斉明天皇のノートは並行整備中のためリンクのみ先行する。忌部氏・蘇我氏・曽我氏神社等は専門ノート未整備のため平文表記とした。

8. 参照原資料(ブログ・Web)

  • 2014-12-25-皇極天皇_雨乞いの場所(速雨神社)(諱「財」=多家良町/雨乞地=速雨神社)
  • 古代の天皇は阿波に在位していた(諡号「足/帯=たらし」海人族説)
  • marine816_記紀神話_天皇考察(蘇我氏祖廟=石井町城ノ内・曽我氏神社の比定)

※本稿は皇極天皇(第35代)の阿波説的位置づけを人物ノートとして整理したもの。皇極は重祚して斉明天皇(第37代)となった同一人物であり、斉明期の論点は 斉明天皇 ノートに分ける。