持統天皇
要旨
持統天皇は、阿波説の歴代天皇論において在位説ハブの「終端」に置かれる天皇である。阿波説固有の中心論拠は、藤原京の第一次遷都地を阿波とする説(阿波国古代研究所所長・笹田孝至氏提唱)であり、694年に阿波へ第一次藤原京が造営され、持統崩御後に奈良へ第二次藤原京が遷都されたと考える。論拠は『日本書紀』の「大倭国への完成報告」と「二度の造営」の解釈である。阿波説は、天武・持統朝を阿波が史書から消される起点と位置づけ、以後は阿波忌部の麁服貢進という儀礼の形にのみ阿波本貫が残存するとみる。本ノートの evidence_type は documentary_interpretation、confidence は 2。
1. 概要
- 読み: ジトウテンノウ
- 諱: 鸕野讃良(うののさらら、鵜野讃良皇女とも)
- 和風諡号: 高天原広野姫天皇(タカマノハラヒロノヒメ)
- 代数: 第41代
- 父: 天智天皇(中大兄皇子)
- 夫: 天武天皇(大海人皇子)
- 子: 草壁皇子(早世)
- 在位: 690年〜697年(称制 686年〜、文武天皇へ譲位)
- 通説の宮: 藤原宮(奈良県橿原市・藤原京、694年遷都)
- 登場文献: 『日本書紀』『万葉集』『続日本紀』
注意
本ノートは阿波説Vaultの専門ノートであり、持統朝に関する阿波説固有の論拠を整理する。草壁・大津・高市各皇子をめぐる権力闘争、藤原不比等の台頭、大宝律令準備、伊勢・三河行幸といった事項は一般日本史に属し、Vault内に阿波説的な独自比定が確認できないため本ノートでは扱わない。
2. 阿波説における位置づけ
持統天皇は、阿波説の歴代天皇論において 在位説ハブの「終端」 に置かれる天皇である。在位説ハブ 古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで は、神武から持統に至る歴代天皇の本貫・宮・陵の一部を阿波とみなすが、その射程を「持統天皇まで」とする理由を、天武・持統朝が阿波説における時代区分の節目である点に求めている。
すなわち阿波説では、
- 天武朝に大嘗祭が制度として確立し(7世紀後半)、持統朝にかけて藤原京遷都と国史編纂が進行する。
- 8世紀初頭の『古事記』『日本書紀』編纂において、阿波で起きた事跡が畿内の地名へ上書きされたと解する。
- 以後、天皇の本貫としての阿波は史書から消され、阿波忌部の麁服(あらたえ)貢進という儀礼の形にのみ残存する。
→ この意味で持統朝は、阿波説にとって「阿波が史書から消される起点」と位置づけられる。
2-1. 第一次藤原京=阿波説(笹田孝至説)
持統朝に関する阿波説固有の中心論拠は、藤原京の第一次遷都地を阿波とする説である。阿波国古代研究所所長・笹田孝至氏が提唱し、専門ノート 二つの藤原京:持統天皇の第一次遷都地としての阿波 に詳述される。
通説では藤原京は奈良県橿原市の一箇所とされるが、阿波説では 694年に阿波へ第一次藤原京が造営され、持統崩御後に奈良へ第二次藤原京が遷都されたと考える。論拠は『日本書紀』の二点の解釈である。
- 「大倭国への完成報告」:694年(持統8年)、藤原宮鎮祭にあたり「使者を派遣して伊勢・大倭・住吉・紀伊の四神に新宮の完成を告げた」とある。阿波説は、使者を大倭国へ派遣した以上、報告の発信元(本国)は大倭ではないと読み、藤原宮が奈良になかった証左とする。
- 「二度の造営」の時系列:694年に藤原へ遷都した記述の後、703年の持統崩御を経て、翌704年に再び「初めて藤原宮地を定む」と記される。阿波説は、この二度目こそ奈良(第二次)の造営開始であり、先に阿波・後に奈良という順序が平城京遷都への流れにも整合するとする。
| 観点 | 通説 | 阿波説(笹田説) |
|---|---|---|
| 藤原京の数 | 奈良の一箇所 | 阿波(第一次)+奈良(第二次)の二つ |
| 694年遷都先 | 奈良・橿原 | 阿波の「藤原」 |
| 704年「初めて藤原宮地を定む」 | 整地・拡張の重出記事と解釈 | 奈良への第二次藤原京の造営開始 |
| 阿波の比定地 | — | 徳島市近郊、鮎喰川と吉野川に挟まれた平野部 |
→ 阿波の藤原京比定地周辺には、藤原宮中心跡とされる天神社(徳島市)、祭祀配置に関わるとされる人丸神社などが挙げられ、「藤原」地名の阿波→奈良スライドの事例とされる(詳細は専門ノート参照)。
3. 主要事績(通説の骨格)
阿波説の論点理解に必要な範囲で、通説の事績を簡潔に示す。
- 称制(686年〜):天武天皇崩御後、皇太子・草壁皇子の即位を準備しつつ政務を執る。
- 即位(690年):草壁皇子の早世(689年)を受けて自ら即位。
- 藤原京遷都(694年):日本初の本格的条坊都城とされる藤原京へ遷都(阿波説では第一次=阿波)。
- 譲位(697年):孫の軽皇子(文武天皇)へ譲位し、太上天皇となる。
4. 系譜(通説)
天智天皇
↓
鸕野讃良皇女(持統天皇)
× 天武天皇(叔父)
↓
草壁皇子(早世)
↓
軽皇子=文武天皇
5. 阿波の関連
- 第一次藤原京の比定地:徳島市近郊、鮎喰川・吉野川に挟まれた平野部(天神社・人丸神社周辺)。
- 大嘗祭麁服の連続性:阿波説は、持統朝を境に阿波の本貫性が史書から消えた後も、天皇即位儀式における阿波忌部の麁服貢進が「阿波=天皇家の祭祀本貫」の儀礼的痕跡として断絶なく続いたとみる(在位説ハブの ⑤ 天智〜持統 層に対応)。
6. 関連ノート(Vault内)
- 古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで ← 在位説の総論ハブ。持統朝を射程の終端とする
- 二つの藤原京:持統天皇の第一次遷都地としての阿波 ← 第一次藤原京=阿波説の詳細論考
- 安房・阿波に関わる天皇一覧
- 天武天皇(夫)
- 天智天皇(父)
7. 留保
注意
- evidence_type: documentary_interpretation(『日本書紀』記述の解釈に依拠する。発掘・遺物による物証はない)
- confidence: 2
- 在位説ハブ 古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで は、持統を含む ⑤ 天智〜持統の層を在位説のうち最も弱い段階(強度「弱」)と評価し、「持統朝に近づくほど『阿波本貫』より『阿波との祭祀的紐帯』と解する方が史料整合的」と明記する。本ノートの中心論拠(第一次藤原京=阿波)が依拠する専門ノートは自らを confidence 5 と高く評価するが、両者は評価が食い違っており、統括フレームである在位説ハブの低評価を採る。
- 第一次藤原京=阿波説は 笹田孝至氏個人の説であり、694/703/704年の年代・「大倭報告」の読みはいずれも『日本書紀』の文言解釈に基づく仮説である。考古学的には奈良県橿原市の藤原京跡が確定しており、阿波に第一次藤原京が存在したことを示す発掘成果は確認できない。
- 天神社・人丸神社の藤原宮跡比定は社伝・地名解釈の段階にとどまる(本ノートでは専門ノートを持たないため平文で言及)。
- 草壁・大津・高市の死、藤原不比等の暗躍、三河行幸等の権力闘争史は、Vault内に阿波説的独自比定が存在しないため本ノートに取り込まない(一般日本史での水増しを避ける)。
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