斉明天皇
要旨
1. 概要
- 読み: サイメイテンノウ
- 諱: 宝皇女(タカラノヒメミコ)
- 諡号: 天豊財重日足姫尊(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノミコト)
- 代数: 第37代(女帝)
- 重祚: 第35代 皇極天皇 の 重祚(再即位) であり、両者は同一人物
- 夫: 舒明天皇(第34代)
- 子: 天智天皇(中大兄皇子・第38代)、天武天皇(大海人皇子・第40代)
- 弟: 孝徳天皇(第36代)
- 在位(通説): 655年〜661年
- 通説の宮: 後飛鳥岡本宮(奈良県明日香村)/晩年は朝倉橘広庭宮(百済救援のため西征し当地で崩御)
- 登場文献: 『日本書紀』
2. 阿波説における位置づけ
斉明天皇は第35代 皇極天皇 が孝徳天皇の崩御後に再び即位(重祚)した同一人物である。したがって 諱・諡号の語義に関する阿波説の論拠(「足/帯(たらし)」=阿波海人族の称号、「財(たから)」=徳島市多家良町)は、皇極=斉明の単一の名に基づくものであり、両ノートで完全に共有される。これらの名前由来論は 皇極天皇 ノートに詳述したため、本ノートでは重複を避けて再掲しない。
斉明期(重祚後)に固有の阿波・四国系の論拠として Vault 内に確認できるのは、晩年の宮「朝倉橘広庭宮」を四国(土佐)の朝倉に求める社伝 の一点である。これも徳島(阿波)への直接比定ではなく、土佐の式内社・朝倉神社(高知市朝倉)に残る伝承を、阿波説が阿波の朝倉地名圏(神山・佐那河内方面)からの分派祭祀として接続する、という間接的な議論にとどまる。
3. 阿波比定の核心論点
3-1. 朝倉橘広庭宮=土佐 朝倉神社(高知市)の社伝
『日本書紀』斉明七年(661年)条は、天皇が百済救援のため難波宮を発ち、伊予熟田津・娜大津を経て 朝倉橘広庭宮 に遷り、当地で崩御したと記す。通説はこれを 筑紫(福岡県朝倉市) の宮とする。
これに対し、土佐国土佐郡の式内社 朝倉神社(高知市朝倉、神体山=赤鬼山)には、当社をこの朝倉宮に比定する社伝が古くから伝わる。拝殿案内板は「斉明天皇七年、朝倉宮に行幸せられ仮の御殿を丸木で造られたので木の丸殿と申されました」とし、御子・天智天皇の歌「朝倉や木の丸殿に我居れば名乗りをしつつ行くはたが子ぞ」を引き、「天智天皇の勅語により斉明天皇を朝倉の宮に合せ祀られた」と伝える。当社が近世まで「高加茂大明神 橘の広庭の宮」と称されたことも、この比定伝承を支える。朝倉神社の frontmatter にも祭神として「天豊財重日足姫天皇(伝)」が併記される。
阿波説(awa-otoko 系)は、この土佐の朝倉宮社伝を阿波と接続する。すなわち、土佐の「朝倉」を阿波忌部の麻栽培文化に由来する「麻倉(あさくら)」の転訛、神体山「赤鬼山」を「麻城山(あさぎやま)」の音転とみて、阿波の朝倉地名圏(名方郡・神山町〜佐那河内村方面、阿波忌部の祭祀圏)からの分派と読み解く。祭神「天津羽羽神」が阿波の天石門別系女神と同系であること、神奈備山+磐境の古層祭祀が阿波の祭祀形態と一致することを傍証とする。詳細は 朝倉神社 ノートを参照。
留意
この論点は 斉明の宮を「阿波(徳島)」に置く比定ではない。あくまで宮の伝承地である土佐の朝倉神社を、阿波の朝倉地名圏からの分派として接続する間接的な議論である。日本書紀・扶桑略記が明記する通説(筑紫朝倉橘広庭宮)とも、朝倉神社ノート自身の評価(後世の付会)とも競合する点に留意(→留保参照)。
4. 主要事績(通説・同定情報)
- 重祚後、後飛鳥岡本宮に都す。
- 百済滅亡(660年)を受け、その救援軍を率いて西征。伊予熟田津・娜大津を経て朝倉橘広庭宮に遷り、同地で崩御(661年)。
- 崩御後の白村江の戦い(663年)は、子・天智天皇(中大兄皇子)の称制下で大敗に終わる。
※公共事業(いわゆる狂心渠)・百済救援の経緯そのものは一般日本史であり、阿波説固有の独自性を持たないため概要・同定情報以上には立ち入らない。
5. 系譜(通説)
敏達天皇 ──孫── 茅渟王 × 吉備姫王
↓
皇極天皇(宝皇女・第35代) × 舒明天皇(第34代)
│(=重祚して第37代 斉明天皇)
├ 天智天皇(中大兄皇子・第38代)
├ 間人皇女(孝徳天皇皇后)
└ 天武天皇(大海人皇子・第40代)
6. 主要関連ノート
- 皇極天皇(重祚元・第35代=同一人物。名前由来論など共有論拠の詳細はこちら)
- 古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで ← 在位説の総論
- 安房・阿波に関わる天皇一覧
- 舒明天皇(夫・第34代)
- 孝徳天皇(弟・第36代)
- 天智天皇(子・第38代)
- 天武天皇(子・第40代)
- 朝倉神社(土佐、朝倉橘広庭宮比定伝承の式内社)
7. 阿波・四国の関連祭祀地・地名
8. 留保
注意
- evidence_type: blog_hypothesis + 現地伝承(社伝)。confidence: 2。
- 重祚=皇極である点:斉明天皇(第37代)は第35代 皇極天皇の重祚であり、同一人物である。本ノートは便宜上「斉明」期(重祚後・朝倉宮等)を中心に扱い、皇極期および名前由来論は 皇極天皇 ノートに分ける方針による分割であって、別人ではない。
- 名前由来論は共有・重複:諡号「天豊財重日足姫」「財(たから)」「足(たらし)」の阿波比定は皇極=斉明の単一の名に基づく議論で、皇極天皇ノートの論拠と完全に重複・共有される。本ノートでは再掲せず誘導した。
- 「朝倉宮=土佐 朝倉神社」社伝の弱さ:『日本書紀』『扶桑略記』はいずれも朝倉宮を「筑紫朝倉橘廣庭宮(福岡県朝倉市)」と明記し、これが通説である。土佐 朝倉神社の比定伝承は、当社ノート自身が「近世土佐藩内の自社昇格運動による付会」「明治神社誌料も土佐朝倉宮説を退ける」と評価しており、確実な論拠ではない。
- 阿波接続のさらなる弱さ:阿波説が土佐の「朝倉=麻倉」「赤鬼山=麻城山」とする語源説は、出典(awa-otoko)自身が「朝倉は麻の倉。赤木山は麻城山の転訛か?」と 疑問形 で提示しており、語源学的にも考古学的にも未証明。通説(連胤按語の大和起源説)と真っ向から対立する。これは斉明を阿波(徳島)に結ぶ直接の証拠ではない。
- 一般日本史は不採用:狂心渠(公共事業批判)・飛鳥京跡苑池・牽牛子塚古墳(斉明天皇陵説)・百済救援の経緯などは、Vault 内資料(note_kofunjidaishi 等)が扱うものの、いずれも奈良・九州を舞台とする一般日本史であり阿波説固有の独自性を持たない。本ノートでは概要・同定情報以上には用いていない。
9. 参照原資料(ブログ・Web)
- 2017-08-08-土佐国一宮ト阿波國一宮ハ夫妻之御神ナル可シ。(朝倉神社=斉明天皇朝倉宮比定伝承・朝倉=麻倉転訛説)
※本稿は斉明天皇(第37代)の阿波説的位置づけを人物ノートとして整理したもの。斉明は第35代 皇極天皇の重祚であり同一人物であって、名前由来など共有論拠は皇極ノートに集約し、本稿は重祚後の朝倉宮比定伝承を中心に扱う。
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