渋野丸山古墳(しぶのまるやまこふん)
要旨
渋野丸山古墳は、徳島県徳島市渋野町三ツ家に所在する前方後円墳で、墳丘長約105m(周濠を含めた全長約118m)を誇る、徳島県内最大・四国地方第2位の規模を持つ。5世紀前半(古墳時代中期前半)の築造とされ、3段築成、南側くびれ部の造出(四国の前方後円墳では唯一の確認例)、盾形周濠、葺石、円筒埴輪列・多彩な形象埴輪(家形・盾形・甲冑形・衣笠形・舟形等)を備える。これらの規格は同時代の畿内中央政権の巨大古墳(大仙陵古墳等)と共通するものであり、被葬者である阿波の首長がヤマト政権と極めて密接な関係にあったことを示す。本古墳の築造は、それまで吉野川流域が中心であった阿波の前方後円墳築造が勝浦川流域へと移り、以後前方後円墳の築造そのものが終焉を迎える画期を示す点でも重要である。2009年に国の史跡に指定された。
1. 命題の構造
| 観点 | 通説 | 阿波説 |
|---|---|---|
| 畿内政権との関係 | 3段築成・造出・盾形周濠・形象埴輪という規格の共通性から、畿内中央政権の墓制・葬送儀礼を強く受容した地方首長の墓 | 阿波の首長がヤマト政権の中枢と極めて密接な同盟関係にあり、政権中枢の最新の葬送イデオロギーを完全に共有していたことの物証とみる |
| 勢力移動の意味 | 前期(吉野川流域中心)から中期(勝浦川流域)への阿波内部の勢力中心の移動 | 阿波忌部を中心とする勢力圏の変遷・再編過程の一齣として位置づける |
| 前方後円墳終焉の意味 | 本古墳を最後に阿波における前方後円墳築造が終わる、地域史的な画期 | 中央集権化の進展・律令制導入への移行過程の考古学的痕跡とみる |
2. 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 古墳名 | 渋野丸山古墳 |
| 所在地 | 徳島県徳島市渋野町三ツ家 |
| 築造年代 | 5世紀前半(古墳時代中期前半) |
| 墳形 | 前方後円墳 |
| 墳丘長 | 約105m(周濠を含めた全長約118m) |
| 規模詳細 | 後円部直径約69m・高さ約10.5m/前方部幅約60m・長さ約44.5m |
| 築成 | 前方部・後円部ともに3段築成 |
| 規模順位 | 徳島県内最大、四国地方第2位(第1位は富田茶臼山古墳、香川県、全長139m) |
| 指定 | 2009年2月12日 国指定史跡(2012年9月19日 範囲追加指定) |
3. 構造の詳細
- 造出(つくりだし): 南側のくびれ部に祭祀用の張り出し部を持つ。これは四国地方の前方後円墳では唯一の確認例とされ、畿内的な祭祀様式の直接的な導入を示す。
- 周濠: 墳丘周囲に盾形の濠が巡らされている。
- 葺石・埴輪列: 墳丘斜面には葺石が敷かれ、平坦面には円筒埴輪が並ぶ。
- 埋葬施設: 主体部は未発掘。2002年の奈良文化財研究所によるレーダー探査で、東西主軸の石室とみられる幅約5m×約2.5mの反応が確認されているが、詳細は不明のままである。
4. 出土遺物
- 形象埴輪群(詳細は渋野丸山古墳_形象埴輪群参照): 家形(首長居館の表現)、盾形・甲冑形・靫形(武威の象徴)、蓋(きぬがさ)形(貴威の象徴)、舟形(海上交通の支配、または魂の運搬具)など多彩な種類
- 円筒埴輪・朝顔形埴輪
- 土師器: 小型丸底壺等(造出付近での祭祀跡から出土)
- 一部の円筒埴輪にはベンガラ・辰砂による赤色塗彩の痕跡があり、阿波特産の朱を用いた儀礼が行われていたことを示す
5. 歴史
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 5世紀前半 | 渋野丸山古墳築造 |
| 1915年 | 古墳が発見される |
| 1923年 | 『勝浦郡志』で初めて紹介 |
| 1953年 | 県指定史跡「渋野の古墳」の一部として指定 |
| 1990年 | 追加指定 |
| 1999〜2005年度 | 第1〜6次調査実施 |
| 2002年 | 奈良文化財研究所によるレーダー探査 |
| 2009年 | 国の史跡に指定 |
| 2012年 | 史跡範囲の追加指定 |
| 2013〜2019年度 | 保存整備事業に伴う追加調査 |
6. 阿波説における意義
6-1. 畿内政権との強固な結びつき
3段築成・造出・盾形周濠・豊富な形象埴輪という特徴は、同時代の畿内中央政権が築造した巨大古墳(大仙陵古墳等)と共通する規格である。阿波説ではこれを、阿波の首長が単なる服属関係ではなく、畿内政権の中枢と極めて密接な同盟関係にあったことの物証として重視する。
6-2. 阿波における政治的中心地の移動
古墳時代前期には吉野川流域(阿波忌部の本拠地周辺、萩原墳墓群・気延山古墳群等)が前方後円墳築造の中心であったのに対し、中期前半(マンジョ塚2号墳の頃から)勝浦川下流域にも古墳が築造されるようになり、渋野丸山古墳の築造をもって畿内色の強い大規模古墳がこの地域に現れる。本古墳を最後に阿波における前方後円墳の築造は終焉を迎えており、阿波内部での勢力圏の変遷・中央集権化への移行過程を示す象徴的なランドマークとされる。
7. 関連神社・関連氏族
関連古墳
関連氏族
8. 現地情報
- 所在地: 徳島県徳島市渋野町三ツ家
- 保存整備: 徳島市による「史跡渋野丸山古墳保存整備基本計画」に基づき、史跡公園として整備が進められている
9. 参照ブログ・Web資料
外部一般資料
10. 史料
発掘調査・測量調査
- 徳島市教育委員会『渋野丸山古墳発掘調査報告書』(2006年)
- 1999〜2019年度の各次調査報告
- 2002年 奈良文化財研究所レーダー探査
11. 関連ノート(Vault内)
出土遺物
阿波考古学
阿波説総合
12. 留保(中立的併記)
注意
- 渋野丸山古墳の規模・構造・出土埴輪の情報は発掘調査・測量調査に基づく考古学的事実であり、確度は高い。
- 主体部(埋葬施設)は未発掘であり、被葬者の具体的な身分・性格は不明である。レーダー探査による石室の存在推定も、あくまで反応データからの推測にとどまる。
- 「阿波の首長がヤマト政権中枢と極めて密接な同盟関係にあった」という評価は、埴輪・墳形の規格の共通性からの推定であり、これを直接証明する文献史料はない。
- 本ノートの evidence_type は “archaeological_evidence”、confidence は 4(墳丘構造・出土埴輪は確度が高いが、被葬者像・政治的関係性の解釈には推定を含む)。
※本稿は徳島の古墳研究まとめの重要古墳として、阿波における前方後円墳築造の終着点という観点から位置付けられる。
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