天照大神の葬儀記録:八倉比売大神御本記と嘘楽

『天石門別八倉比賣大神御本記』は、徳島市国府町矢野・天石門別八倉比賣神社に伝わる古文書で、天照大神(大日孁尊)の葬儀執行の詳細な記録 として読まれる、阿波説における最重要文書の一つ。八百萬神の演奏する楽を「神楽(かぐら)」ではなく「嘘楽(うそらく)」と表記することにより、これが祝祭ではなく 葬儀の儀礼 であったことを明示している。

📜 御本記が記す葬儀の役職構成

御本記の核心部分は、天照大神(または八倉比賣大神)の葬儀における 役職の明示 にある:

役職神名役割
道案内(先導)伊魔離神(いまり)葬列を先導
葬儀委員長大地主神(おおじぬし/土宮の神)葬儀の総責任者
葬地確保木股神(御井神)葬地の検分
棺護衛松熊二神神輿の護衛
神衣縫製広浜神経帷子(神葬の衣)の縫製
葬列演奏八百萬神「嘘楽(うそらく)」を演奏

→ 天石門別八倉比賣神社の 境内由緒書 は、この御本記を「天照大神の葬儀執行の詳細な記録」と明記する。

→ 出典:noraneko-blog(2010-05-27)天石門別八倉比賣神社比定 (出典)

🌑 「嘘楽(うそらく)」の意味――葬儀儀礼の暗号

「嘘楽」は神楽(かぐら)に対する造語で、

  • 神楽(かぐら) :神を歓ばせる祭祀の楽 = 祝祭
  • 嘘楽(うそらく) :「嘘」字を冠する楽 = 葬儀の楽

「嘘」字を意図的に用いる点は、後世の編纂者が 「これは普通の神楽ではない、葬儀の楽である」 と暗号的に明示する意図と読める。神道において神は本来「死なない」存在とされるため、神の葬儀を堂々と記すことができず、暗号化された表現で残されたと解釈される。

awa-otoko 氏の解釈

awa-otoko 氏は、『上一宮大粟神社古傳書及御神号改正願稿』の中で「嘘」字を含む表現が頻出することに注目し、「嘘」には「事を歪めて伝えた」「公文書として虚偽である」の含意がある と読み解いている(→ 『改正願稿』本文の「混シテ傳へ」「誤リ傳エシ」「考ヘ合シテ」などの表現群)。

→ 「嘘楽」もこれと連動する暗号表現として、葬儀という抹消された事実を記録する文体上の工夫 と解釈される。

→ 出典:awa-otoko(2016-01-11)八倉比賣神社は天石門別豊玉比賣神社だった (出典)

🏔 御本記の物語構造――降臨から葬地確定まで

1. 降臨地:早渕(鮎喰川下流)

而後比賣大神天八重雲於伊津乃路別爾千別天天降給只 最初椙乃小川乃清只流乎照臨賜天此川乃水深志止謂登毛太早止宣喜 故其所乎謂早渕乃邑止

→ 比賣大神は天八重雲を伊津路に分けて天降りした。最初に 椙の小川(鮎喰川) の清流を照臨し、「この川の水は深くとも、太く早い」と仰せられた。→ そこを 「早渕」 という。

2. 鮎喰川での饗応

于時大地主神(土宮是也)木股神(御井神是也)参逢天此河乃魚乎漁天奉饗 太神禰言鰭乃狭物止謂止毛可食物也止 故号其河鮎喰川

→ 大地主神・木股神が 川の魚を漁って饗応。比賣大神は「これは魚の中でも狭いものだが、食べ物である」と仰せられた。→ ゆえに川の名を 「鮎喰川」(あくいがわ)という。

3. 気延山への先導

大地主答曰 久是與利西乃方朝日乃直刺山夕日乃日照留気延嶺阿利 請其地爾可行幸止啓天奉引導

→ 大地主神「西の方に朝日が直接刺し、夕日が照らす気延の嶺がある」と答え、案内した。

4. 葬地への奉幣

于時在神名於者伊魔離神 止白天此野爾生採五百箇野薦八十玉籖雑々乃幣奉流 (其採野薦地者謂五十串野其奉饗地者謂美阿閇野謂髪狭野止)

→ ここで 伊魔離神 が出現し、野薦(のごも)と玉籖を採取・奉幣。 → 野薦を採った地は 五十串野(いがしの)、饗応地は 美阿閇野(みあへの)/髪狭野(かみさの)。

5. 杉尾山での石門別神との対面

是與利西乃方杉乃小山乃麓爾到利給者 石門別神迎来天敬禮啓須 大神宣久汝等吾勅言乃如爾志氏天吾乎待志哉 答曰久然前乃如神宣則此處御矢乎蔵地也止 仍天太神甚加褒辞賜而此地爾一宿経而 (此故爾謂矢倉乃郷止亦謂屋度利乃社止)

→ 杉小山の麓に至ると、石門別神 が迎えに来て敬礼した。 → 太神は「汝らは我の勅言の通り、我を待っていたか」と仰せ、石門別神は「然り、前の如く、ここは御矢を蔵する地です」と答えた。 → 太神は褒辞を加え、ここに一宿された。 → ゆえにこの地を 「矢倉の郷(やくらのさと)」、また 「屋度利の社(やとりのやしろ)」 という。

→ 「八倉(やくら)」の地名由来 がここで明示される。「八倉比賣」の「八倉」は、矢倉=御矢を蔵する地 から発生したことになる。

6. 気延山頂への昇り

猶山坂乎攀登天杉乃小山乎経天気延乃山爾到利給布 于時広浜乃神参相天時節乃御衣奉留 其地乎謂御衣足止

→ 山坂を攀じ登り、杉小山を経て気延山に到った。 → ここで 広浜神 が 時節の御衣(みそ) を奉った。→ その地を 「御衣足(みそたり)」 という。

7. 気延山頂への鎮座

直爾気延乃嶺乃下津磐根爾宮柱廣敷立高天乃原爾峻峙榑風天天上乃如儀仁志氏天鎮座須 (天石門押坐故天石門別云 八倉郷爾坐姫御神故ニ八倉比売ト云)

→ 気延嶺の下津磐根に 宮柱を広く敷き立て、高天の原に峻峙し、天上の如く鎮座。 → 天石門を押し開いて坐すから「天石門別」、八倉郷に坐す姫御神だから「八倉比売」 という。

8. 八百萬神による嘘楽

此夜八百萬乃神々集爾集天 嘘楽 賜 其神集志所者喜多志嶺止謂

→ この夜、八百萬の神々が集まりに集まって 嘘楽(葬儀の楽) を奉った。 → 神々の集った所を 「喜多志嶺(きたしのみね)」 という。

→ ここに 天照大神の葬儀 の中心場面が記される。

🏞 杉尾山遷座――気延山頂からの移遷

御本記の後半は、気延山頂から杉尾山への 遷座 を記す:

而後経二千百五年而到小治田御宇元年龝八月 太神毛原美曽持爾託曰久 吾宮地遙爾高峻志此 故爾神主祝部巫乃百乃蒼生爾到萬天参詣拝趨爾倦労奈牟 杉乃小山者不高不低不遠不近直善地也 彼嶺爾欲遷座止

→ 2105年後、小治田御宇元年(推古元年・593年)秋8月、太神は神主に「我が宮地は遙かに高峻であり、神主・祝部・巫女・百姓が参詣するのに倦労している。杉の小山は 不高不低不遠不近の善地 であり、そこに遷座したい」と託宣した。

印璽の埋蔵

吾前爾従天持降流所乃瑞乃赤珠乃印璽於波 杉乃小山乃嶺爾深久埋弖天乃赭乎以覆蔵 是其赭者諸邪鬼妖怪及諸病乎厭爾奇仁妙奈流験止教喩賜只 赭印璽止号弖奉秘崇是也 其印璽所埋之地乎謂印璽乃嶺(又謂御石之峯)

→ 太神が天から持ち降った 瑞の赤珠の印璽 を、杉小山の嶺に深く埋め、天の赭(あけ=丹/朱) を以て覆い蔵した。 → この赭は、諸邪鬼・妖怪・諸病を厭する妙験あり。 → 埋蔵地を 「印璽の嶺」(又は 「御石の峯」)という。

→ 「赤珠の印璽 + 天の赭(丹/朱)の覆い蔵」――気延山一帯から江戸時代まで 大量の丹がしみ出していた という伝承と整合する。これは『魏志倭人伝』が記す 倭人の朱の使用 と時代的に符合し、阿波=邪馬台国 の物証として位置づけられる。

関連:天石門別八倉比売神社:女王の終焉地 / 若杉山辰砂採掘遺跡

⏰ 鎮座年代の二重解釈

安永2年3月(1773年)の古文書の「気延山々頂より移遷、杉尾山に鎮座してより二千百五年を経ぬ」の記録

通説の解釈:

1773年(安永2年)- 2105年 = 紀元前332年
                            (または西暦338年に再計算)

→ 4世紀初の 古墳発生期 にあたる。

御本記原文の解釈:

「而後経二千百五年而到小治田御宇元年龝八月」
 = 小治田御宇元年(推古元年=593年)から2105年さかのぼる
 = 紀元前1512年

→ 後者であれば 弥生時代以前。この読みであれば、八倉比賣神は弥生草創期以前から祭祀されていたことになる。

noraneko-blog の見解

「而後経二千百五年而到小治田御宇」の一文を持って、一般には偽書扱いされるだろう。しかし、その内容は、物語と地名の由来を繰り返し述べるなど、風土記の要素が強いもので、創作というよりは何らかの伝承を参考にした と思われる。

🧿 御本記の信憑性論争

偽書説

  • 城福勇『わが残照:阿波郷土史研究』(阿波の国学研究者)
  • 明治政府教部省『特選神名牒』(1876年)――阿波出身の国学者・小杉榲邨 が編者に加わる
  • kohun-jinjya 氏の最新総括も偽書説支持

→ 「年代計算が合わない」「文体が古文書としては新しい」が主な根拠。

「何らかの伝承を参照した」説

  • noraneko-blog :風土記的要素が濃く、創作とは断じがたい
  • awa-otoko :阿波内部の系図伝承(『改正願稿』『粟国造粟飯原家系図』)と内容が整合する

→ 偽書だとしても、何を偽装するために偽書を作ったか が問われる。「ない記憶」を偽造するより「ある記憶を文書化した」と見るほうが、神社の異常な神階・太政官符(1070年「邦国之大典」)の存在と整合する。

🌸 葬儀記録としての御本記が示唆するもの

御本記を 天照大神(あるいは八倉比賣命)の葬儀記録 として読むことは、阿波説における次の主張群を成立させる:

1. 天照大神は阿波で葬られた歴史的人物

「神は死なない」という神道の建前を超え、神話の主神が 具体的な葬儀を伴う歴史的人物 であった可能性。これは天皇家の祖神祭祀の基層に阿波の女王陵が存在することを示唆する。

2. 卑弥呼との同一神論

奥の院の 五角形祭壇(青石木口積、鶴石・亀石の「つるぎ石」)は、邪馬台国女王・卑弥呼の墓 とする説と整合する。

  • 五角形祭壇=多角形古墳の系譜(弥生~古墳発生期)
  • 丹(水銀朱)の使用=『魏志倭人伝』記述と一致
  • 葬儀記録の存在=女王の終焉地
  • 神階「正一位」「邦国之大典」=国家祭祀化された女王陵

3. 阿波が皇室祭祀の起源地

天照大神の葬儀地が阿波の気延山であるなら、伊勢神宮は阿波からの遷祀の産物 ということになる。崇神紀の「天照大神を笠縫邑に祀る → 倭姫命の遷祀 → 伊勢神宮」というプロセスは、阿波の女王陵祭祀の中央移転 として再解釈される。

まとめ:『御本記』を読む視点

『天石門別八倉比賣大神御本記』は、

  1. 「嘘楽」という暗号 によって葬儀記録であることを示す
  2. 早渕/鮎喰川/矢倉郷/屋度利/御衣足/印璽の嶺 など現存する地名群と完全に対応する
  3. 天石門別神 との対面シーンで、父神(または夫神)との関係を明示する
  4. 赤珠の印璽と天の赭の覆い で、朱(水銀朱)の祭祀 と接続する
  5. 小治田御宇(推古朝)の杉尾山遷座 という、歴史時代と接続する時間軸を持つ

偽書か真書かを超えて、阿波の地名・遺物・神階・太政官符と整合する伝承体系の文献的結晶 として読むのが、阿波説における正当な位置づけである。


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📚 参照原資料(ブログ・note記事)

  • noraneko-blog(2010-05-27)天石門別八倉比賣神社比定 (出典) ― 御本記原文と物語構造
  • goutara-blog 御本記シリーズ(1) (出典) ― 御本記の全文翻刻
  • goutara-blog 御本記シリーズ(2) (出典)
  • goutara-blog 御本記シリーズ(3) (出典)
  • goutara-blog 御本記シリーズ(4) (出典)
  • goutara-blog 御本記シリーズ(おまけ) (出典)
  • awa-otoko(2016-01-11)八倉比賣神社は天石門別豊玉比賣神社だった (出典) ― 「嘘」字の暗号的用法
  • awa-otoko(2014-10-13)卑弥呼が眠る神社 (出典)

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📚 参照資料(ブログ・Web自動)

  • 2010-05-21-天石門別八倉比賣大神御本記
  • 2010-05-22-天石門別八倉比賣大神御本記(2)
  • 2010-05-23-天石門別八倉比賣大神御本記_(3)
  • 2010-05-25-天石門別八倉比賣大神御本記_(4)
  • 2010-05-29-天石門別八倉比賣大神御本記(おまけ)