崇峻天皇

要旨

崇峻天皇は、用明天皇の崩御と丁未の乱を経て蘇我馬子に擁立されて即位し、最終的に馬子によって弑逆された唯一の天皇として知られる(これらは一般日本史上の事績)。阿波説が積極的に主張するのは、通説の宮「倉梯柴垣宮」と陵「倉梯岡陵」を阿波・三好の箸蔵寺(はしくらじ)周辺に比定する地名考証(「倉梯」⇔「箸蔵」音通、marine816)、および徳島市庄町の法谷寺(救世山峯薬師)を用明・崇峻・聖徳太子の弔い寺とする寺伝の二点である。いずれも宮・即位地そのものの強い物証ではなく、地名比定と現地伝承に依拠する。本ノートの evidence_type は blog_hypothesis、confidence は 2(弱め)。

1. 概要

  • 読み: スシュンテンノウ
  • 諱: 泊瀬部皇子(ハツセベノミコ)/長谷部若雀天皇
  • 代数: 第32代
  • 父: 欽明天皇(第29代)
  • 母: 蘇我小姉君(蘇我稲目の娘。用明・推古の母・堅塩媛の妹)
  • 続柄: 用明天皇(第31代)の異母弟、推古天皇(第33代)の異母弟
  • 在位(紀): 587年〜592年
  • 通説の宮: 倉梯柴垣宮(倉梯宮。奈良県桜井市倉橋付近)
  • 通説の陵: 倉梯岡陵(奈良県桜井市倉橋。延喜式諸陵式は「無陵地幷陵戸」と記す)
  • 登場文献: 『日本書紀』『古事記』

崇峻天皇は、用明天皇の崩御と丁未の乱(蘇我馬子と物部守屋の武力衝突)を経て、馬子に擁立されて即位したとされる。しかし馬子との関係が悪化し、最終的に 蘇我馬子によって弑逆(暗殺)された 唯一の天皇として知られる。崩御の当日に倉梯岡陵に葬られたと『日本書紀』は記す。

※これら(即位・丁未の乱・馬子による弑逆)はいずれも 一般日本史上の事績 であり、阿波説に固有の論拠ではない。阿波説が言及するのは、もっぱら後述の 宮・陵の阿波比定 と 法谷寺の弔い寺伝承 である。

2. 阿波説における位置づけ

崇峻天皇について阿波説が積極的に主張するのは、(1) 通説の宮「倉梯柴垣宮」と陵「倉梯岡陵」を 阿波・三好の箸蔵寺(はしくらじ)周辺に比定する という地名考証、および (2) 徳島市庄町の 法谷寺(救世山峯薬師)が用明・崇峻・聖徳太子の弔い寺である とする寺伝の二点である。いずれも宮・即位地そのものの強い物証ではなく、地名比定と現地伝承に依拠する。

論点通説阿波説の比定・伝承
宮「倉梯(柴垣)宮」奈良県桜井市倉橋付近宝珠山 箸蔵寺(三好市池田町州津)周辺と推定(marine816)
陵「倉梯岡陵」奈良県桜井市倉橋(赤坂天王山古墳説あり)同じく 箸蔵寺 周辺と推定(marine816)
弔い寺―徳島市庄町・法谷寺(救世山峯薬師) が用明・崇峻・聖徳太子の弔い寺と寺伝に記す

→ 阿波説では、崇峻天皇は 欽明王統(用明・推古と同世代)の一員として、その宮・陵・弔いの場が阿波(吉野川流域)に比定される天皇 として位置づけられる。

3. 阿波比定の論点

3-1. 「倉梯(くらはし)宮・陵」=箸蔵寺周辺説

ブログ資料 marine816 は、聖徳太子とその兄弟(用明・推古・崇峻ら)の比定地が「徳島県吉野川河口付近および阿讃山脈を跨いだ讃岐引田まで」に集中するとし、その一環として 「推古天皇の異母弟となる崇峻天皇、その皇居である倉梯柴垣宮と、御陵のある倉梯岡陵の推定地は、宝珠山 箸蔵寺」 と記す。「倉梯(くらはし)」と「箸蔵(はしくら)」の音の重なりを根拠とする地名考証である。

なお、同じ箸蔵寺は 履中天皇 ノートでは履中が逃れた「石上神宮」の比定地(御詠歌「いその神」・「布留/ふる川」音通)とされており、箸蔵寺は複数の天皇伝承を吸収する比定地 である点に注意を要する(→ 留保)。

3-2. 法谷寺=用明・崇峻・聖徳太子の弔い寺

徳島市庄町の 法谷寺(救世山峯薬師) は、その寺伝・周辺伝承において 用明天皇・崇峻天皇・聖徳太子の弔い寺 とされる(awa_otoko)。崇峻はここで、父系では兄にあたる用明、甥の聖徳太子とともに「阿波で弔われた飛鳥時代の皇族」の一人として現れる。ただしこれは法谷寺寺伝側の記述であり、崇峻単独の阿波比定を支える独立した物証ではない。 → 法谷寺:救世山峯薬師と法隆寺元社論

4. 系譜

欽明天皇(第29代)
  ├ × 蘇我堅塩媛 ── 用明天皇(第31代)/推古天皇(第33代)
  └ × 蘇我小姉君(堅塩媛の妹)── 崇峻天皇(泊瀬部皇子・第32代)/穴穂部間人皇女

5. 関連ノート(Vault内)

6. 参照原資料(ブログ・Web)

  • marine816_阿波_四国_地域史(崇峻=倉梯柴垣宮・倉梯岡陵=箸蔵寺周辺の推定、阿讃飛鳥説)
  • awa_otoko_04_伝説伝承#2015-01-26-法隆寺の元社と二体の観音像(救世山_峯薬師)(法谷寺=用明・崇峻・聖徳太子の弔い寺)

7. 留保

注意(材料の薄さと比定地の重複を正直に)

  • 「倉梯宮・倉梯岡陵=箸蔵寺周辺」は marine816 の地名考証(「倉梯」⇔「箸蔵」音通)に依拠する。 出典ブログ自身が「あくまで私説考」「深堀りは一切致しません」と明記する弱い仮説であり、同時代史料・考古遺構の裏づけはない。
  • 箸蔵寺は複数の天皇伝承を吸収する比定地である。 履中天皇 ノートでは履中が逃れた「石上神宮」が同じ箸蔵寺に比定されている。同一の場所が崇峻(倉梯宮)と履中(石上神宮)の双方に当てられている以上、崇峻比定の 一対一の特定性は弱い。これは比定の誤りを意味しないが、証拠としての特定力を割り引く必要がある。
  • 物的証拠を欠く。 用明天皇には阿王塚古墳(画文帯神獣鏡2面、古墳時代前期)という実在の物証が改葬伝承に添えられているが、崇峻の阿波比定には対応する考古物証がない。
  • 法谷寺の弔い寺伝承 は用明・聖徳太子と並んで崇峻を挙げるが、これは法谷寺寺伝側の記述であって、崇峻単独の阿波在位・葬地を立証するものではない。
  • 通説との対照:通説では倉梯岡陵は奈良県桜井市倉橋に置かれ、赤坂天王山古墳(方墳)を真陵とする見方もある(諸陵式「無陵地幷陵戸」、note_kofunjidaishi)。これは一般日本史側の所在であり、阿波比定とは競合する。
  • 即位・丁未の乱・蘇我馬子による弑逆などは 一般日本史上の事績 であり、阿波説固有の論拠ではないため、本ノートでは阿波論拠として水増ししていない。
  • 崇峻は 安房・阿波に関わる天皇一覧 には現時点で項目として収録されていない(同一覧へのリンクは系譜上の参照として張るにとどめる)。
  • evidence_type: blog_hypothesis(比定地・弔い寺伝承が中心、物証なし)/ confidence: 2(弱め)。named な比定地(箸蔵寺)と弔い寺伝承を持つ点で材料ゼロの 推古天皇(confidence 1)より上だが、比定地が履中と重複し物証も欠くため、阿王塚古墳という物証を持つ 用明天皇 と同じ 2 の中でも下限に位置づける。

※本稿は、崇峻天皇本人に帰せられる阿波関連材料(倉梯宮・陵の箸蔵寺周辺比定、法谷寺の弔い寺伝承)を核に整理したものである。即位・暗殺等の通説事績は阿波説の論拠ではないため概要に短く留め、留保を厚くしている。