鹿島神宮の元宮と多氏の東遷

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茨城県潮来市に鎮座する**大生神社(おおうじんじゃ)は、東国を代表する武神の聖地・鹿島神宮の「元宮」**として極めて重要な位置を占めている。本ノートは、その由緒と多氏(オフ氏・飯富族)の東遷との関係を整理する。


🎯 命題

#命題根拠
1鹿島神宮の祭神タケミカヅチは、現在地に遷座する前は大生神社に鎮座していた社伝、神護景雲2年(768)/大同2年(807)の二段階遷座記録
2大生神社の創祀氏族は神八井耳命を祖とする多氏(飯富族)大生古墳群110基、社伝
3多氏は阿波→大和→常陸という東遷ルートを取った多氏(オフ氏):初期ヤマト王権の拡大と東遷 参照

📜 鹿島神宮の元宮

由緒によれば、鹿島神宮の祭神(タケミカヅチ)が現在の地に遷座する以前の、本来の鎮座地(元宮)が大生神社であるとされる。

二段階遷座の年代

年事象史料
神護景雲2年(768)大生神社の鹿島神 → 春日大社へ遷座春日大社社伝、奈良時代の文書
大同2年(807)春日 → 現在の鹿島神宮地へ遷幸鹿島神宮社伝、息栖神社遷座年と一致

→ 興味深いことに、斎部広成の『古語拾遺』編纂年(807年)と鹿島遷座年が一致。同じ年に息栖神社も日川から現在地へ遷座しており、東国祭祀の大規模再編期だった。

特殊な祭祀資格

大生神社は、鹿島神宮の 「物忌(一生独身で仕える斎女)」が神宮外へ出て祭祀を行う唯一の特例の場所である。これは元宮であった伝承の制度的な反映と解釈できる。


📜 多氏(オフ氏)の東遷と大生古墳群

この神社を創祀したのは、神武天皇の皇子・**神八井耳命(かんやいみみのみこと)を祖とする多氏(オフ氏・飯富族)**である。

彼らは大和(阿波)から常陸へ移住した際、一族の氏神として鹿島神を祀った。境内周辺には**110基を超える「大生古墳群」**が存在し、多氏一族の奥津城(墓)として彼らの強大な勢力を今に伝えている。

古墳群の特徴

  • 5~6世紀の築造
  • 前方後円墳・帆立貝形古墳・円墳を含む
  • 「手捏ね祭器」(鹿島型)が出土
  • 大賀立野遺跡(鹿島神宮周辺の出土物と同型)

→ 物的証拠として、阿波忌部の千葉側痕跡(房総半島の古墳群)と並ぶ重要遺跡。


📜 鹿島神宮の祭祀掌握過程

大生神社(多氏奉斎)から鹿島神宮(中臣氏奉斎)への祭祀権の移動は、以下のプロセスで説明される:

年事象
古墳時代多氏が大生に鹿島神を祀る
645年乙巳の変、中臣鎌足が政治の実権を握る
649年鹿島が「神郡」となり、神戸が8戸から50戸に増加(『常陸国風土記』)。中臣部兎子らによる申請
662-671年鹿島神宮が建設される(中臣部から「鹿島社祝」が出る)
710年藤原不比等、鹿島から春日大社に武甕槌命を遷す
746年常陸国鹿島郡の中臣部20戸が中臣鹿島連へ改氏姓(『続日本紀』)
768年藤原氏、春日大社の社殿造営、第一祭神を武甕槌命とする
807年春日 → 鹿島へ再遷座

→ 多氏祭祀(大生神社)から中臣氏祭祀(鹿島神宮)への移行は、ヤマト王権中央の藤原氏台頭と完全にシンクロしている。


📜 鹿島・香取・息栖の三社配置

『常陸国風土記』に「天の大神の社・坂戸の社・沼尾の社の三社を合わせて香島の天の大神という」とあり、三社セットの祭祀構造が古層に存在する。さらに東国三社(鹿島・香取・息栖)は、利根川下流・常陸利根川に直角二等辺三角形を成す配置で、海路・水路を統括する祭祀ネットワークを形成した。

位置関係内容
鹿島跡宮 ⇔ 香取真東西の直線
息栖鹿島跡宮の真南、香取の真東
大戸神社息栖・香取の延長線上(オオ氏の関連説)

→ この配置は 太陽の動きに合わせた日祀り の構造を持ち、オオ氏(多氏)の祭祀方式の特徴と一致する(2023-08-31_謎のオオ氏を探せ! 1.はじめに)。


🔗 阿波説における意義

→ 阿波説における意義 を参照。多氏のルーツとしての阿波・大和、阿波忌部との東遷連動、鹿島⇔香取の対と阿波建布都神社の元一神格説など。


📚 関連ノート

📚 参照資料(ブログ・Web自動)

  • 鹿島神宮の元宮と云われる大生神社を訪ねて
  • 2023-08-29_香取海を巡る神々 9.大生神社② 「元鹿島」の謎に迫る
  • 2023-08-30_香取海を巡る神々 10.大生神社③ 大生古墳群の発掘調査とタケカシマノミコト
  • 2023-08-27_香取海を巡る神々 6.鹿島神宮④ 中臣氏の謎
  • 2023-08-31_謎のオオ氏を探せ! 1.はじめに