上宮記
要旨
上宮記(じょうぐうき)は、凡牟都和希王(応神天皇)から継体天皇に至る古系譜を伝える史料。原本は伝わらず、鎌倉後期の卜部兼方『釈日本紀』に「上宮記一云」等の形で引かれる逸文として一部が残る。記紀が継体を「応神5世孫」と簡略に記すのに対し、逸文は中間世代の名・婚姻相手・宮(弥乎国高嶋宮)・縣(三國坂井縣)まで具体的に列挙する点に史料的価値が集約される。成立年代は古層・推古朝説と後世編纂・7〜8世紀説が併存し未決着。阿波説は逸文中の地名を阿波内(鳴門町高島・三国)に比定し、応神から継体まで一貫して阿波を本貫とする王統の文献的足がかりとするが、これは地名の字義解釈・音通に依拠する仮説であり、逸文自体は阿波を直接語らない。
1. 概要
- 読み: じょうぐうき
- 性格: 継体天皇の系譜(凡牟都和希王=応神天皇から継体天皇に至る系図)を伝える古系譜史料
- 現存形態: 原本は伝わらず、鎌倉後期に卜部兼方が著した『釈日本紀』に引用された逸文として一部が残る
- 成立年代: 確定していない(推古朝に近い古層を含むとする説から、後世の編纂とする説まで諸説あり。後述)
- 書名表記: 『釈日本紀』所引では「上宮記一云」「上宮記曰」等の形で引かれる
上宮記は、聖徳太子(上宮王)に関わる名を冠する古文献の一つとされるが、原典そのものは早くに失われ、後代の注釈書に断片的に引かれる**逸文(いつぶん)**としてのみ知られる。とりわけ継体天皇の出自系譜を伝える一節が、史料的に重要視されてきた。
2. 内容(継体天皇の系譜を伝える点)
上宮記逸文の中核は、凡牟都和希王(ほむたわけのみこ=応神天皇)から継体天皇に至る系譜を記す点にある。記紀(『古事記』『日本書紀』)が継体を「応神天皇の5世孫」と簡略に記すのに対し、上宮記逸文は、その間に介在する世代の名を具体的に列挙して系図を伝える。
2-1. 父系の連鎖(『釈日本紀』所引上宮記逸文より)
『釈日本紀』に「上宮記曰、一云」として引かれる本文は、応神から継体に至る父系を次のように列挙する(典拠=『釈日本紀』所引『上宮記』逸文。原文・漢訳は miko.org 所収「上宮記 逸文」による)。
凡牟都和希王(応神天皇)─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子(一名 意富富等王=意富富杼王)─ 乎非王 ─ 汗斯王(彦主人王)─ 乎富等大公王(男大迹天皇=継体天皇)
逸文は各世代の婚姻相手をも具体的に記す。すなわち、意富富等王が中斯和命を娶って乎非王を生み、乎非王が牟義都国造・伊自牟良君の女、久留比売命を娶って汗斯王(彦主人王)を生み、その汗斯王が**布利比売命(振媛)**を娶って継体を生んだ、とする連鎖である。記紀が省略するこの中間世代を補う点に、本逸文の史料的価値が集約される。
なお、第3代にあたる人物は本文では「大郎子」を本名とし、「意富富等王(意富富杼王)」をその別名(一名)とする。系図の節点としては同一人物である。
『釈日本紀』に引かれる上宮記逸文には、継体の父をめぐる次の一節が含まれる(継体天皇ノートに引用される本文より)。
汙斯王(うしのみこ=彦主人王)坐 弥乎国高嶋宮 時、聞此布利比賣命(ふりひめのみこと)甚美女遣人召上、自 三國坂井縣 而娶、所生 伊波禮宮治天下乎富等大公王(いはれのみやにあめのしたしらすをほどのおおきみ=継体)也
ここから読み取れるのは、
- 継体の父・**汙斯王(彦主人王)**が「弥乎国高嶋宮」に在ったこと
- 妃となる**布利比賣命(振媛)**を「三國坂井縣」から召して娶ったこと
- その間に生まれたのが、後に磐余宮で天下を治める継体天皇であること
である。これらの中間世代名は古い仮名(万葉仮名)で記され、引用・写本の系統によって漢字表記に揺れがある(例:意富富等王/意富富杼王)。本ノートでは上記のとおり『釈日本紀』所引逸文に基づき父系の連鎖を示すが、各世代名の漢字表記には異伝がある点を併せて確認しておく。
2-2. 母系(振媛)の系譜
逸文は継体の母・布利比売命(振媛)の出自系譜も記し、これを垂仁天皇の後裔とする。逸文に従えば、垂仁天皇(伊久牟尼利比古大王)─ 磐衝別命(伊波都久和希)─ 磐城別 ─ 磐凝別 ─ 真稚介 ─ 赤蜂君 ─ 小蜂君(余奴臣祖・阿那爾比売を娶る)と続き、その子・都奴牟斯君(角蟲君)の妹が振媛である、とされる。『日本書紀』はこの母系を「垂仁天皇7世孫」と数える(世代の数え方は史料・論者により異同があり、ここでは断定しない)。
3. 史料的価値と諸説
3-1. 三巻構成と「太子御作」伝承
『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引の上宮記には、本書を上・中・下の三巻本とし、「凡そ『上宮記』三巻は太子の御作なり、尤も秘蔵すべし」と聖徳太子の御作に帰す注記がある。同所引部分には、聖徳太子(法大王)の后妃と御子孫計30人を列挙する系譜(山尻王=山背大兄王、舂米女王、近代王=崇峻天皇に擬する注など)が含まれる(典拠=miko.org 所収「上宮記 逸文」)。
ただしこの「太子御作」は伝承上の帰属であって事実とはみなしがたい。同じ注自身が「但し注は後人の撰」と断り、また書名「上宮」が聖徳太子(厩戸皇子)の宮に由来することから、太子への帰属は仮託とみる見方が一般的である。本書の性格についても、太子の伝記とする説、上宮王家に伝来した史書とする説などがあり一定しない。
3-2. 上代特殊仮名遣いと古層説
上宮記逸文は、その人名・地名の表記に上代特殊仮名遣い(甲乙の書き分け)の痕跡をとどめるとされ、これを根拠に、記紀成立よりも古い系譜伝承の古層を反映する可能性が指摘されてきた。この点が、上宮記逸文を継体系譜研究において重視させる主因である。なお『釈日本紀』は本系譜を「上宮記曰、一云」の形で引くため、厳密には上宮記が当時存在した別系統の記に拠った内容を、釈日本紀がさらに孫引きした構造になっている。
3-3. 成立年代の論争(研究史)
成立年代そのものは確定しておらず、研究史上も見解が分かれる。以下は学説の整理であり、いずれかを正解として断定するものではない。
- 古層・推古朝説(系譜伝承を古くみる側): 黛弘道「継体天皇の系譜について:釈日本紀所引上宮記逸文の研究」(1968)は、用字法は時代の趨勢に拘束され後世に古風を装うのは技術的に困難であるとして、継体の世系は記紀編纂以前から上宮記(またはその原文)によって判明していたとみる。西條勉も、「一云」の継体出自系譜は用字法から推古朝ないし大化前代の遺文である可能性が強いとした。
- 後世編纂・7〜8世紀説(より新しくみる側): 井上光貞は上宮記を7世紀の宮廷での創作ではないかとし、山尾幸久は原史料が推古朝まで遡るのは難しく7世紀末〜8世紀初の成立とみる。堀大介は記紀の後に書かれた可能性を指摘する。
このようにいずれも決着していない。本ノートでは特定の年代を断定しない。なお、引用元の『釈日本紀』自体は鎌倉後期(卜部兼方)の成立であり、上宮記の本文がそこに至るまでにどの程度改変を経たかは、史料批判上の論点として残る。
3-4. 記紀系譜との異同
継体を「応神5世孫」とする骨格は記紀と上宮記逸文で共通するが、中間世代の名や宮・縣の地名表記には、記紀本文と細部で異同がある。この異同が、王統の連続性をめぐる研究(継体の出自と王朝論)において、史料間の比較材料として用いられてきた。
4. 阿波説における意義
接続点の提示にとどめる
上宮記逸文は、それ自体が阿波(徳島県)を直接語る史料ではない。以下はあくまで、阿波説が上宮記逸文の記述をどの地名に読み替えているかという接続点の整理であり、上宮記が阿波を証言しているという意味ではない。
阿波説が上宮記逸文を重視するのは、これが中間世代に加えて宮・縣の地名(弥乎国高嶋宮・三國坂井縣)まで具体的に伝える、継体出自の中核的な系譜的典拠だからである(他史料=水鏡・神皇正統記・愚管抄等は系譜の骨格を異にし、これらの地名を伴わない)。阿波説は、逸文中の地名を次のように阿波内へ比定する(詳細・論拠は 継体天皇 および 応神・履中・継体天皇の阿波本貫論:八幡信仰と継体王朝 に譲る)。
- 父・汙斯王(彦主人王)の宮「弥乎国高嶋宮」 → 「近江(あはうみ)=旧阿波国の海」と読み、鳴門市鳴門町高島(「三国」が接する地)に比定
- 妃・振媛の出自「三國坂井縣」 → 鳴門町高島に南接する「三国」に対応するとみる
これらは「凡牟都和希王=応神天皇」を阿波本貫とみる応神ルーツ論(応神天皇)と接続し、阿波説の側では「応神から継体まで一貫して阿波を本貫とする王統」という見立ての文献的足がかりとされる。
ただし、こうした読み替えはいずれも地名の字義解釈・音通に依拠する仮説であり、上宮記逸文の本文そのものが阿波を指示しているわけではない点を改めて確認しておく。
5. 留保(中立的併記)
注意
- 上宮記は逸文であり、原典は現存しない。本文は『釈日本紀』(鎌倉後期)を介して伝わるため、引用過程での改変可能性を含む史料批判上の限界がある。
- 成立年代は確定していない。古層説と後世編纂説が併存しており、本ノートは特定の年代を断定しない。
- 中間世代の人名(若野毛二俣王・意富富杼王ら)の漢字表記は万葉仮名による異伝が多く、引用・写本の系統によって字を異にする。本ノートは『釈日本紀』所引逸文の表記を基準に父系・母系を示したが、確定した一字一句として扱うべきではない。
- 「凡牟都和希王=応神天皇」とする同定は通説的だが、「凡牟都和希(ホムツワケ)」を応神(ホムタワケ)ではなく垂仁天皇皇子・誉津別命とみる異説もある(応神同定はあくまで一説)。
- 上宮記逸文以外にも継体の出自系譜は伝わり、『水鏡』『神皇正統記』『愚管抄』は「応神─隼総別皇子─男大迹王─私斐王─彦主人王─継体」という上宮記とは異なる系譜を載せる。系譜伝承自体に複数系統が併存する。
- 「弥乎国高嶋宮=鳴門町高島」「三國坂井縣=阿波の三国」といった阿波比定は、地名音通・字義解釈に基づく仮説であり、上宮記逸文自体は阿波を直接語らない。近江国(滋賀県高島郡)に比定する通説には式内名神大社・水尾神社の歴史的継続という具体的裏付けがある。
- 阿波説的解釈は、近世以降の郷土史およびブログ考察を主たる典拠とする仮説段階の議論である。
6. 関連ノート(Vault内)
- 継体天皇 ← 上宮記逸文が伝える出自系譜の阿波比定(人物ノート)
- 応神・履中・継体天皇の阿波本貫論:八幡信仰と継体王朝 ← 詳細論考(継体は §4)
- 応神天皇 ← 凡牟都和希王=応神の阿波本貫論
- 安閑天皇(継体の子、第27代)
- 宣化天皇(継体の子、第28代)
- 欽明天皇(継体の子、第29代、現皇統へ)
- 武烈天皇(直系断絶により継体擁立)
- 仁賢天皇(継体皇后・手白香皇女の父)
- 垂仁天皇(逸文が伝える継体の母・振媛の祖系)
- 歴代天皇_MOC(歴代天皇ノートの総覧)
- 古代天皇の阿波在位説:初期天皇から持統天皇まで
- 安房・阿波に関わる天皇一覧
※本稿は史料『上宮記』(逸文)についての解説ノートである。継体天皇の阿波比定そのものの論拠は 継体天皇・応神・履中・継体天皇の阿波本貫論:八幡信仰と継体王朝 を参照。本文中の『釈日本紀』『古事記』『日本書紀』等は阿波説Vault内に専門ノートが未作成のため、プレーンテキストで記している。
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