二つの藤原京:持統天皇の第一次遷都地としての阿波
要旨
阿波国古代研究所所長・笹田孝至氏らが提唱する、持統天皇の遷都に関する歴史実証理論。通説では「藤原京」は奈良県橿原市の一箇所とされるが、阿波説では阿波(徳島県)に最初の藤原京(第一次)が造営され、後に奈良(第二次)へと遷都されたと考える。
1. 命題の構造
| 観点 | 通説 | 阿波説 |
|---|---|---|
| 藤原京の所在 | 奈良県橿原市の一箇所 | 阿波(第一次)→奈良(第二次)の二箇所 |
| 『日本書紀』の造営記述 | 一連の造営記録 | 「二度の造営」の時系列的矛盾を含む |
| 「藤原」地名 | 奈良固有の地名 | 阿波の「藤原」地名が奈良へ移設(地名スライド) |
※阿波説欄は後述の論拠・留保で示す解釈であり、比定は未確定。
2. 日本書紀に記された「二度の造営」の矛盾
『日本書紀』の記述を精査すると、藤原京に関して時系列的な不自然さが浮き彫りになる。
- 694年(持統8年): 第一次藤原京(阿波)への遷都
- 日本書紀に「藤原宮に遷り居ま標す」とあり、持統天皇が阿波の「藤原」へ遷都。この時、**「大倭国(おおやまと)へ完成報告をした」**とする記述がある。もし奈良が舞台であれば、奈良から奈良へ報告するのは不自然であり、この「大倭」とは阿波の特定の地域、あるいは阿波から見た他地域を指していたと考えられる。
- 703年: 持統天皇崩御
- 704年: 第二次藤原京(奈良)の定礎
- 持統天皇の崩御後、翌年に日本書紀は**「初めて藤原宮地を定む」**と再び記す。これは、奈良における新たな藤原京(通説の藤原京)の造営開始を意味しており、時系列的には「阿波から奈良への遷都」があったことを示唆している。
3. 阿波における藤原京の比定地
阿波の藤原京は、現在の徳島市近郊、鮎喰川と吉野川に囲まれた肥沃な平野部に位置していたとされる。
- 天神社(徳島市): この周辺がかつての藤原宮の中心跡地と比定される。
- 人丸神社: 藤原京の防衛や祭祀に関連する配置。
- 地名のスライド: 阿波の「藤原」地名が、そのまま奈良の「藤原」へと移設された典型的な地名スライドの事例である。
4. 留保
注意
- 「阿波に第一次藤原京があった」とする比定は阿波説的解釈で、通説(藤原京=奈良県橿原市の一箇所)とは異なる。
- 比定地(天神社・人丸神社周辺)は未確定であり、考古学的に確証された宮都跡ではない。
- 本ノートの evidence_type は “archaeological_evidence”、confidence は 5
5. 関連ノート(Vault内)
参照資料・関連ブログ
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- 藤原京は二つあった! (awa_kodaisi_xyz)
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コメント
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