忌部神社(いんべじんじゃ)

要旨

忌部神社(島根県松江市東忌部町) は、出雲国意宇郡の「忌部神戸(いんべのかんべ)」の総社として、忌部氏の総祖神である 天太玉命 を主祭神に祀ってきた古社。古くは 「出雲大宮神社」 または 「二十二社総権現」 と称された。明治44年(1911)の一村一社合祀令に基づき、式内小社である 久多美神社(主祭神:大穴牟遅神ら四神)および近隣の諸社を合祀した際、社名を「忌部神社」と改称した。ただし久多美神社は大正12年(1923)、氏子により旧社地(東忌部町3000-17-2)に分霊が再勧請され、独立した社として現存・奉斎されている(完全な合祀消滅ではない)。阿波説においては、出雲の玉作忌部(櫛明玉命)の本拠地における祭祀中枢として、阿波(穀物・麻・祭祀の本源)から出雲(玉作)へ展開した忌部ネットワークの根幹をなす社として位置づけられる。


1. 命題の構造

観点通説阿波説(仮説含む)
主祭神 天太玉命忌部神戸(部民の居住地)の総社として、忌部一族の総祖神を勧請・奉斎阿波国麻殖郡(大麻比古神社)を本拠地とする天太玉命の祭祀が出雲忌部の拠点へ伝播・移植されたもの
明治の改称「忌部神社」式内社「久多美神社」の合祀に伴う一村一社の行政的な改称忌部神戸の総社「大宮神社」が合祀を契機に「忌部」の由緒を復古・表象化したものと解する
合祀された久多美神社大穴牟遅神ら出雲在地神を祀る『出雲国風土記』所載の式内社(大正12年に旧社地で再興・現存)大穴牟遅神・事代主神・味耜高彦根命ら祭神は、阿波の山城谷や勝占神社などの阿波神系譜が出雲へ展開した痕跡

2. 基本情報

項目内容
社名忌部神社(いんべじんじゃ)
旧社名大宮神社、二十二社総権現、総社大宮大明神
所在地島根県松江市東忌部町957
創建不詳(平安朝以前、忌部神戸の成立期に遡る)
主祭神天太玉命、天照大御神、天児屋根命(ほか合祀神を含め計25柱)
合祀(久多美神社、大正12年に分霊は現地で再興)大穴牟遅神、事代主神、味耜高彦根命、天御梶姫命
延喜式表記(合祀された久多美神社が)出雲国意宇郡 久多彌神社(小)
社格旧郷社(昭和6年昇格)。式内小社「久多美神社」は本社への合祀を経て大正12年に分霊が旧社地へ再興されており、当社が式内社の地位を直接継承しているとは言い切れない
位置付け宍道湖南方の忌部高原(東忌部・西忌部)に鎮座する忌部神戸の総社

3. 祭神と社伝

3-1. 主祭神(大宮神社の古層)

  • 天太玉命(あめのふとだまのみこと)
    • 忌部(斎部)一族の総祖神。天岩戸隠れの際に太玉串を捧げ、祭祀を主導した神。
  • 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
    • 社伝によれば、日御碕神社(出雲)からの御霊現(御神託)により勧請。
  • 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    • 中臣氏の祖神。大和国春日大社より勧請と伝える。祭祀の両輪である中臣・忌部の祖神を並び祀る形態をとる。

3-2. 合祀された久多美神社(式内社)の祭神

明治44年に合祀された式内社 久多美神社(久多彌神社) の祭神は以下の四神である。

  • 大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ=大国主命)
  • 事代主神(ことしろぬしのかみ)
  • 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
  • 天御梶姫命(あめのみかじひめのみこと)

なお久多美神社は大正12年(1923)、氏子により東忌部町3000-17-2の旧社地(『出雲国風土記』にいう久多美山=現・黒目山の麓)に分霊が再勧請され、現在も年2回(2月・10月)の祭事を伴い独立して奉斎されている。したがって「久多美神社は忌部神社に合祀され消滅した」という理解は正確でなく、両社は合祀後も並立する形で現存する。

3-3. 社伝・由緒

境内の由緒案内板によれば:

当社は明治末年まで大宮神社と称し、祭祀の祖神天太玉命を主祭神とし、天照大御神は日御碕神社より、天児屋根命は春日大社より勧請し奉斎せり。 平安朝に忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し、忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し其官祭を享け給へり。 明治44年、一村一社として隣保親睦の実行を期するため、式内村社久多美神社、無格社山智神社、無格社七次神社、無格社素鵞神社を合祀して社名を忌部神社と改称。


4. 歴史

  • 奈良時代:『出雲国風土記』(733)意宇郡条に 「忌部神戸(いんべのかんべ)」 の地名が記載される。この地域は出雲忌部(玉作部)が居住し、宮廷祭祀用の玉(勾玉・管玉)を調製する拠点であった。
  • 平安時代:忌部神戸内の22社を大宮神社(当社)に合祀し、「二十二社総権現」と称する。神祇令に基づき、神戸の官物を供進する総社としての地位を確立。
  • 江戸時代:歴代出雲国守(松江藩主)の崇敬篤く、松平綱近が御供田を寄進。
  • 明治44年(1911):神社合祀に際し、式内小社「久多美神社」などを合祀。大宮神社から「忌部神社」に社名を改称。
  • 大正12年(1923):久多美神社の氏子が旧社地に分霊を再勧請し、社殿を再興(現存)。
  • 昭和6年(1931):郷社に昇格。
  • 昭和39年(1964):境内に伝わる勾玉・管玉等の「上代玉作関係遺物」が松江市有形文化財に指定。

5. 出雲忌部と「忌部神戸」の核心論点

5-1. 玉作と天太玉命祭祀

出雲忌部は『古語拾遺』において、天太玉命に従う五伴緒の一柱である 櫛明玉命(玉作の祖)の後裔とされる。出雲における玉作技術は花仙山(玉湯町)を中心とするが、その玉作部を管轄・組織したのが「忌部神戸」である。 当社はその忌部神戸の総社として、櫛明玉命の主神である 天太玉命 を古くから祀っていた。この事実は、技術集団(玉作部)とその祭祀管理集団(忌部氏)が一体となって出雲に定着していた物的証跡である。

5-2. 久多美神社の合祀と地名「忌部」

式内社「久多美神社」は本来、別所(『出雲国風土記』にいう久多美山=現・黒目山)に鎮座していたが、鎌倉時代に佐々木信勝の築城に伴い麓へ移されたと伝わる。地名としての「忌部(東忌部・西忌部)」は、久多美神社の位置ではなく、大宮神社(現・忌部神社)が総社として管轄した「忌部神戸」の領域そのものに由来する。明治期の改称は、この「忌部神戸の総社」という本源的な由緒に復したものである。なお久多美神社自体は前述のとおり大正12年に旧社地で再興されており、「忌部」の地名由来社と式内社実体は別個に並立している点に留意が必要である。

5-3. 出雲国造家との関係

『出雲国風土記』意宇郡条は、意宇郡内に「出雲神戸」「賀茂神戸」と並んで「忌部神戸」を記録する。これらの神戸(かんべ)は、出雲国造が朝廷へ神祇官幣として献上する調度(忌部神戸の場合は忌玉=勾玉・管玉)を貢納するための部民集団の居住地であり、出雲国造の祭祀権・貢納体制と密接に結びついた行政単位であった。忌部神戸で製作された勾玉・管玉は、出雲国造が朝廷に奉る神宝の一部を構成したと考えられ、当社(忌部神戸の総社)は国造家の祭祀ネットワークの末端に位置する社であったとみられる。出雲国造家の本拠・熊野大社(意宇郡)や神魂神社(同郡)と同一郡内に所在する点も、意宇郡が出雲国造の祭祀圏の核であったことを裏づける。


6. 阿波説における意義

6-1. 阿波(本源)から出雲(玉作)への技術・祭祀移植

阿波説では、祭祀の物質的供給を担った 忌部氏(麻・穀・紙・玉・鏡)の生産拠点が阿波から全国へ展開したとみる。出雲は「玉作」の最重要拠点であり、玉作湯神社と並び、この忌部神社(大宮神社)が 出雲忌部の管理中枢 として機能していた。 阿波の麻殖郡(大麻比古神社)を本貫とする天太玉命の祭祀が出雲の山間部(忌部高原)に整然と移植されている点は、両地が技術・祭祀の太いパイプで結ばれていたことを示している。

6-2. 事代主・味耜高彦根命の阿波接続

合祀された久多美神社の祭神である 事代主神 と 味耜高彦根命(大国主の御子神たち)は、阿波説において阿波吉野川流域(勝占神社・多祁御奈刀弥神社等)を本貫とする神格とされる。出雲忌部の総社にこれらの阿波系神格を祀る式内社が合祀された(あるいは近接して並立していた)構造は、出雲における「阿波系祭祀」の濃厚な集積を示す。


7. 関連神社・関連氏族

出雲の忌部・阿波接続群

  • 玉作湯神社 — 意宇郡式内社。出雲忌部(玉作)の祖神 櫛明玉命を祀る
  • 神魂神社 — 意宇郡式内社。天穂日命・秋鹿郡の阿波接続と連動
  • 熊野大社 — 出雲国一宮。意宇郡式内社

阿波の忌部中枢

  • 大麻比古神社 — 阿波国一宮。天太玉命を祀る忌部総氏神
  • 忌部神社の遷座論争:山崎から二軒屋まで — 徳島県吉野川市・徳島市。天日鷲命を祀る阿波忌部中枢の論争史(※阿波の「忌部神社」は本ノートとファイル名が同一のため、bare wikilinkでは自己参照のおそれがあり、区別可能な本論考ノートへリンクした)

関連神格

  • 天太玉命 — 忌部氏総祖神
  • 櫛明玉命 — 出雲忌部・玉作部の祖神
  • 事代主神 — 阿波の核心神格(事代主神社・勝占神社)

8. 現地情報

項目内容
住所〒690-0036 島根県松江市東忌部町957
旧県社/特別神社昭和50年 島根県神社庁特別神社に指定
主要祭事10月19日 例祭
奉納品忌部神戸で製作された勾玉・管玉、および砥石などが伝わる

9. 参照ブログ・Web資料

Shrine-heritager 系

ブログ・論考系


10. 史料

一次史料

  • 『出雲国風土記』意宇郡条「忌部神戸」
  • 『延喜式』神名帳 意宇郡「久多彌神社」

神社縁起・社伝

  • 忌部神社(旧大宮神社)社伝・境内由緒板

11. 関連ノート(Vault内)

忌部・技術氏族論

阿波説の核


12. 留保(中立的併記)

注意

  • 社名「忌部神社」は近代の改称:本社の歴史的呼称は「大宮神社」であり、明治44年の合祀を契機に改称されたものである。式内「久多美神社」は合祀社であり、本社が直接延喜式神名帳の「忌部神社」として記載されていたわけではない(延喜式に出雲国忌部神社という社名は載っていない)。
  • 久多美神社は合祀後に再興・現存(要訂正点):明治44年の合祀は「消滅」を意味しない。大正12年(1923)、氏子により旧社地(東忌部町3000-17-2)に分霊が再勧請され、現在も年2回の祭事を伴い独立して奉斎されている(出典:松江観光協会「松江花図鑑」、Wikipedia日本語版「忌部神社(松江市)」)。したがって当社の社格を「式内小社(久多美神社合祀による)」と単純に説明することは正確でなく、式内社の実体は別途現存すると理解すべきである。
  • 天太玉命の勧請時期:大宮神社としての創立や天太玉命の勧請年代を特定する一次史料は存在せず、平安朝に二十二社を合祀した時点以後の由緒に基づく。
  • 阿波接続は仮説:天太玉命の祭祀が出雲忌部の玉作と結びついていることは確実だが、これが「阿波からの直接のルート」を示すかについては考古学的・文献的な傍証(玉作技術の系統)による推定であり、確定した事実ではない。
  • basename衝突に注意:本ノートと阿波国麻殖郡の「忌部神社」(天日鷲命を祀る阿波忌部中枢)はファイル名が同一(忌部神社.md)である。パイプ表記 [[忌部神社|表示名]] は表示テキストを変えるのみで解決先ファイルは変わらないため、本ノート内から阿波側へリンクする際は、bare [[忌部神社]] を使わず区別可能な別ファイル([[忌部神社の遷座論争:山崎から二軒屋まで]])へ迂回した(§7参照)。逆方向(本ノートへの到達)は、aliasesに「出雲忌部神社」を含めることで 出雲忌部神社 によるリンクを可能にしている。ただしbasenameそのものの一致は解消されておらず、他ノートが将来 bare [[忌部神社]] で本ノートを指そうとした場合は阿波側に解決される可能性がある点に注意。
  • 「島根県神社庁特別神社」指定は未検証:§8「現地情報」に記載の「昭和50年 島根県神社庁特別神社に指定」は、今回のWeb検索(Wikipedia・松江花図鑑・島根県公式ページ等)では裏付けが取れなかった。誤りと断定する根拠もないため既存記述は削除せず残すが、出典不明である旨をここに明記する。
  • 本ノートのevidence_typeは “primary_source_based”、confidenceは3を維持(久多美神社の現存が確認され記述を訂正したが、天太玉命祭祀・忌部神戸の存在自体は一次史料〔出雲国風土記・延喜式〕で裏付けられており、確度を下げる要素ではない。ただし「式内小社の合祀による社格」という説明の精度が下がった点は留保に反映済み)。

※本稿は忌部五部神の全国分掌体系_MOCの出雲展開における中核社として、出雲忌部(櫛明玉命)の管掌組織たる忌部神戸の総社祭祀という観点から位置付けられる。玉作の物質的拠点である玉作湯神社と双璧をなす、出雲忌部の精神的・管理拠点である。