幕府・政府による公認と極秘調査の歴史
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要旨
阿波国が古代天皇家の聖地であったとする阿波説の立場から、中世の幕府〜近現代の政府が、公文書や調査を通じて阿波の正統性を繰り返し認識・公認してきたとされる痕跡を整理する。表向きの畿内中心史の裏で阿波の聖性が認識され続けた、とする読みである。 ──ただし、これらの叙述は 阿波説論者による解釈・推測を多く含み、一次史料での裏づけは限定的である(confidence 2)。
1. 江戸幕府:元禄の極秘御陵調査
- 元禄10年(1697年): 徳川幕府老中・土屋相模守が、徳島藩に対し「阿波・淡路両国にある古代天子葬之場(天皇の墓)」の徹底調査を命じました。
- 伊弉諾神宮の創祀: 現在淡路島にある一宮・伊弉諾神宮は、この時の調査報告に基づき、そこが伊邪那岐命の御陵であると断定されたことで、禁足地の上に社殿が建立されたものです。
- 阿波国風土記の影: 幕府はこの時、現在は失われたとされる『阿波国風土記』を密かに入手し、その記述を元に調査を行っていた可能性が高いと考えられています。
2. 鎌倉・足利幕府:麁服(あらたえ)貢進の契約
- 鎌倉幕府は、阿波の山岳地帯にある木屋平村の住人に対し、天皇即位儀式に必須の「麁服」を献上するための正式な書状を発行していました。「御衣御殿人(みぞみあらかんど)」としての特権は、武家政権によっても公認されていました。
3. 明治政府:行政区分の改変と隠蔽
- 明治政府は、応神天皇ゆかりの地である応神町を誕生させるなど、行政区分の再編を通じて、阿波の古代的な聖性を隠蔽あるいは換骨奪胎しようとした形跡が見られます。
4. 留保
注意
- 「幕府が極秘調査を命じた」「失われた『阿波国風土記』を入手していた」「明治政府が聖性を隠蔽した」とする叙述は、いずれも阿波説論者による解釈・推測を多く含み、一次史料での裏づけは限定的である。
- 伊弉諾神宮が元禄の調査報告に基づき伊邪那岐命の御陵上に建立されたとする経緯、行政区分再編を「隠蔽」と読む解釈は、通説とは異なる阿波説固有の見方である。
- 本ノートの evidence_type は “blog_hypothesis”、confidence は 2。
5. 関連ノート(Vault内)
- 大嘗祭と麁服:阿波忌部の特権と幕府の契約 — 麁服貢進と武家政権の契約関係(上記②の専論)
- 三木家文書の偽書論争:阿波忌部研究の史料批判 — 麁服貢進史料の批判的検証
- 律令制以前からの世襲統治 — 阿波忌部の世襲統治論
- 奈良・平安時代の主要な阿波国司 — 律令期の阿波統治
- 近代の忌部強調史観の形成:大正大嘗祭以後の阿波説的言説の構築 — 近代における言説形成史
6. 参照資料
- 上位ハブ:阿波説ポータル
コメント
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