隠岐に最初にやってきた人々

起源

考古学調査によると、日本に到着した初期の近代人は、およそ 3 万 5 千~4 万年前に到着したと

いう。隠岐諸島へも同時期に人が住むようになったと一般的に考えられている。

島民の定住を追跡するカギとなるのが、この土地の黒曜石の分布である。有機物と異なり、こ

の火山ガラスは時間の経過によって分解されることがなく、優れた考古学的指標として機能する。隠

岐諸島にたどり着くことができる黒曜石は、遠く離れた兵庫県の 3 万年前の遺跡でも見つかってお

り、これは、その時代までには島に住民が定住していたことのみならず、島民たちが交易ともしかすると

鉱業を行っていたことを示している。

「木の葉(このはびと)人」伝説

隠岐に定住し黒曜石を採掘していた人々と現在の島民との詳細なつながりは明らかではない。他の

地域同様に、歴史の最も初期の部分は神話や伝説の口承でしか残されていない。地元の伝説によ

ると、最初に島に住み着いた人々は「木の葉人」と呼ばれていた。彼らは乾いた木の葉で覆った衣類

を着ており、それは葛や川柳の皮で締められたものだったことが伝えられている。木の葉は雨水や塩水

をはじき、着る者が濡れることを防いでくれた。木の葉人は髪を切らず髭も伸ばしており、恐ろしい風

貌だった。

伝説では、最初はほんの少数、恐らくたった一組の木の葉人が島後の北側の湾に到着したと

いう。彼らは火起こしの道具や原始的な漁具を持って来ていた。やがて彼らはさらに西にある西ノ島

へと移住した。ある日、島の南端へ渡ろうと決めた彼らは、島前で最も高い場所へと登って土地を調

査した。間もなくすると、木の葉人の第 2 集団が遠く南へ上陸した。彼らには火をおこす手段がなく

困窮していた。第 2 集団は北の高い山に炎が上がるのを見て、思い切ってそちらへ向かった。山の頂

上でこの 2 つの集団は一緒になった。伝説では、これが焼火山の名前の由来であると記されている。

まもなく、他の集団も島へと到着し、この中には本州の出雲地域から来た刺青を入れた海人

(うみびと)もいた。最終的に、木の葉人の言語と文化は海人のものと一緒になってしまった。

考古学的な証拠

1998 年に、島後のレインボーアリーナ建設前に予備的な考古学調査が実施された。この調査から

弥生時代(紀元前 300–西暦 300)の終わりの古墳(墳丘墓)という重要な遺跡が発掘され

た。およそ 18 メートル×11 メートルの長方形の古墳は四隅が突出しており、古代の出雲王朝の文

化独特の形である。その時代には強力な権力者たちが島根県と鳥取県の西側を支配しており、出

雲様式の古墳が島後に存在するということから彼らの影響が隠岐島にまで及んでいたことがわかる。

さらに、隠岐の黒曜石の分布が出雲の文化圏と大きく重なることから、有史前に隠岐で確立された

黒曜石の通商圏に沿って出雲王朝の文化圏が広がっていった可能性がある。