2. 墳墓の進化:積石木槨から前方後円墳へ

要旨

前方後円墳という列島規模の王権墓制がどこで生まれたかを、墳墓形式の連続性から問う各論。阿波説は、鳴門市の 萩原墳墓群(1号・2号墓) に見られる 積石木槨(つみいしもっかく) と突出部を持つ墳丘を、前方後円墳の祖型(プロトタイプ) とみる。すなわち「積石木槨を伴う阿波の円形墳丘+突出部」→「西山谷など前方後円形の萌芽」→「箸墓古墳での大規模化・定型化」という形式列を描き、王権墓制の設計図が阿波で先行的に揃っていたと論じる。本稿は阿波・畿内考古学編年比較の各論(土器編年・水銀朱と並ぶ「墳墓」軸)。


墳墓形式の変遷

段階遺跡年代(試案)特徴
① 祖型萩原1号墓・2号墓(鳴門市)3世紀初頭〜前半積石木槨という石を積んだ埋葬施設+円丘に突出部。前方後円墳のプロトタイプとされる
② 萌芽西山谷古墳群ほか纒向出現以前「前方後円形」墳丘の走り
③ 定型・大規模化箸墓古墳(大和)3世紀後半阿波の積石・墳丘設計が大規模化し、大和で定型前方後円墳として開花した姿

積石木槨とは

木棺・木槨の周囲や上を石を積んで覆う埋葬施設。阿波の萩原墳墓群で顕著にみられ、後の竪穴式石槨(石室)へとつながる技術段階に位置づけられる。阿波説では、この石積み技術と突出部付き円丘が、ホケノ山古墳(大和)など畿内初期古墳の埋葬施設・墳形に技術移転したとみる(→前方後円墳の起源_萩原墳墓群とホケノ山の祖型系統論、阿波型竪穴式石槨:積石木槨からホケノ山古墳への技術伝播)。

重要論点:箸墓最古説への反証

畿内説が主張する「箸墓=最古の定型前方後円墳」説は、阿波の萩原墳墓群(より古く、積石木槨→突出部→墳丘設計が形式的に連続している)を考慮に入れない限りで成立する、というのが阿波説の主張である。

→ 阿波考古学と邪馬台国


留保

注意

  • 萩原墳墓群を「前方後円墳の祖型」とみるのは阿波説的解釈で、前方後円墳の起源地は学界でも纒向(大和)・吉備・阿波・出雲など複数説があり確定していない。
  • 各遺跡の実年代(萩原3世紀初頭・箸墓3世紀後半)は試案であり、絶対年代には研究者間で幅がある(→実年代の固定点(試案))。
  • 「阿波→大和への技術移転」は墳丘形式・埋葬施設の類似に基づく推論で、直接の系譜関係を物証で確定したものではない。
  • 本ノートの evidence_type は “archaeological_evidence”、confidence は 3(形式の前後関係は確かだが、起源地・伝播方向は学説対立がある)。

※本稿は阿波・畿内考古学編年比較から詳細化・分割された専門論考である。